1911年(明治44)から関東大震災(1923)前後まで、立川文明堂(大阪市中央区博労(ばくろう)町)から刊行された小型講談本。約200点を出して、当時の青少年に歓迎され、大衆文学の一源流となった。著者は雪花山人、野花散人などの筆名を用いているが、これは大阪の講釈師玉田玉秀斎(本名・加藤万次郎)とその妻山田敬、長男阿鉄(おてつ)らの共同執筆である。第一編は『一休禅師』で、『水戸黄門』『大久保彦左衛門(ひこざえもん)』というように、歴史上の人気者が並んだが、第40編の『猿飛佐助』はまったくの架空の人物にもかかわらず、愛すべき個性と忍術によって好評を博し、立川文庫の名をあげるとともに、映画などにおける忍術ブームを巻き起こした。これに刺激されて、『袖珍(しゅうちん)大川文庫』『武士道文庫』『忍術文庫』その他多くの小型叢書(そうしょ)が輩出したが、権力者に反抗する痛快味において、元祖には及ばなかった。
[紀田順一郎]
『足立巻一著『立川文庫の英雄たち』(1980・文和書房)』▽『『立川文庫傑作集』全四巻(1981・ノーベル書房)』
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正しくは「たつかわ」。書き下ろした講談による叢書。大衆文学の先駆をなし,1911~24年(明治44~大正13)大阪の立川文明堂から約200点が刊行された。発行者は立川熊次郎。2代玉田玉秀斎と妻山田敬,その長男阿鉄(おてつ)らの集団製作。はじめ読者層は関西を中心とした少年店員たちで,のち関東に普及。「猿飛佐助」(1914)は抜群の人気をよんだ。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…1911年から23年にかけて200点近く出版された小型講談本。〈たつかわ文庫〉ともいう。四六半截判,立川文明堂(大阪)刊,定価25銭。初めは京都出身の講釈師玉田玉秀斎の口演を,後妻の山田敬と連れ子の阿鉄(おてつ)ら創作集団が雪花散人,野花散人などの筆名で採録していたが,やがて口演速記だけでなく新しく書き起こしたものも加え,その第40編において《猿飛佐助》(1914)という新しいヒーローを生み出した。…
…猿飛佐助,霧隠才蔵,三好清海入道,三好伊三(いさ)入道,穴山小介,海野(うんの)六郎,筧(かけい)十蔵,根津甚八,望月六郎,由利鎌之助の10人だが,三好清海入道と伊三入道は兄弟とされている。このうち,由利鎌之助,三好清海入道,伊三入道,根津甚八などの名は,《真田三代記》や《大坂夏陣図》などにも見うけるが,〈真田十勇士〉としての武勇伝の数々は,すべて〈立川文庫〉による創作である。〈立川文庫〉は1911年から,25年ころまでに刊行された二百数十巻にのぼる小型の講談本である。…
…日本の古典を中心に収録し,12年までに50冊を刊行して文庫本の権威を高めた。文庫の名を大衆的にしたのは,1911年から出版された立川文庫(立川文明堂)である。《猿飛佐助》などの講談ものを収録し,青少年層に圧倒的好評を博した。…
※「立川文庫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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