立川文庫(読み)タチカワブンコ

デジタル大辞泉 「立川文庫」の意味・読み・例文・類語

たちかわ‐ぶんこ〔たちかは‐〕【立川文庫】

明治末期から大正中期にかけて、大阪の立川文明堂から刊行された少年向けの小型の講談本講談師玉田玉秀斎や山田阿鉄らが共同執筆。「猿飛佐助」「霧隠才蔵」などの忍術物が人気を博した。たつかわぶんこ。

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精選版 日本国語大辞典 「立川文庫」の意味・読み・例文・類語

たちかわ‐ぶんこたちかは‥【立川文庫】

  1. 明治末期から大正中期にかけて大阪の立川文明堂から刊行された小型の講談本。青少年対象とした全約二〇〇冊の叢書で、講釈師二代目玉田玉秀斎とその家族が集団執筆。特に「猿飛佐助」「霧隠才蔵」などが知られる。たつかわぶんこ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「立川文庫」の意味・わかりやすい解説

立川文庫
たちかわぶんこ

1911年(明治44)から関東大震災(1923)前後まで、立川文明堂(大阪市中央区博労(ばくろう)町)から刊行された小型講談本。約200点を出して、当時の青少年に歓迎され、大衆文学の一源流となった。著者は雪花山人、野花散人などの筆名を用いているが、これは大阪の講釈師玉田玉秀斎(本名・加藤万次郎)とその妻山田敬、長男阿鉄(おてつ)らの共同執筆である。第一編は『一休禅師』で、『水戸黄門』『大久保彦左衛門(ひこざえもん)』というように、歴史上の人気者が並んだが、第40編の『猿飛佐助』はまったくの架空の人物にもかかわらず、愛すべき個性と忍術によって好評を博し、立川文庫の名をあげるとともに、映画などにおける忍術ブームを巻き起こした。これに刺激されて、『袖珍(しゅうちん)大川文庫』『武士道文庫』『忍術文庫』その他多くの小型叢書(そうしょ)が輩出したが、権力者に反抗する痛快味において、元祖には及ばなかった。

紀田順一郎

『足立巻一著『立川文庫の英雄たち』(1980・文和書房)』『『立川文庫傑作集』全四巻(1981・ノーベル書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「立川文庫」の意味・わかりやすい解説

立川文庫 (たちかわぶんこ)

1911年から23年にかけて200点近く出版された小型講談本。〈たつかわ文庫〉ともいう。四六半截判,立川文明堂(大阪)刊,定価25銭。初めは京都出身の講釈師玉田玉秀斎の口演を,後妻の山田敬と連れ子の阿鉄(おてつ)ら創作集団が雪花散人,野花散人などの筆名で採録していたが,やがて口演速記だけでなく新しく書き起こしたものも加え,その第40編において《猿飛佐助》(1914)という新しいヒーローを生み出した。当時の青少年に歓迎され,大衆文学の一源流となり,また時代劇映画の素材ともなった。
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百科事典マイペディア 「立川文庫」の意味・わかりやすい解説

立川文庫【たちかわぶんこ】

1911年から約10年間大阪の立川文明堂(発行人立川熊次郎)から刊行された講談風の袖珍(しゅうちん)判少年読物。正しくは〈たつかわ文庫〉。講談を種として創作が加えられたもので,第1回の《一休禅師》以降《霧隠才蔵》《猿飛佐助》など200点ほどが刊行され,大正期に多数の読者を獲得した。大衆文学の源流の一つとなった。
→関連項目国枝史郎真田十勇士猿飛佐助

立川文庫【たつかわぶんこ】

立川文庫(たちかわぶんこ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「立川文庫」の意味・わかりやすい解説

立川文庫
たちかわぶんこ

1911年から約 10年間,大阪市博労町の立川文明堂から出版された書き講談の叢書。初めは旅回りの講談師玉田玉秀斎の口演を速記したものであったが,のちには創作講談を書きおろすようになった。『一休禅師』『猿飛佐助』『霧隠才蔵』など 25年頃までに 240巻ほどを刊行,なかには 1000版を重ねたものもある。四六半截の小型本で定価 25銭だった。特に青少年層に歓迎され,大正期から昭和初期の青少年にとっては現代のマンガと同様大きな影響を与えた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「立川文庫」の解説

立川文庫
たちかわぶんこ

正しくは「たつかわ」。書き下ろした講談による叢書。大衆文学の先駆をなし,1911~24年(明治44~大正13)大阪の立川文明堂から約200点が刊行された。発行者は立川熊次郎。2代玉田玉秀斎と妻山田敬,その長男阿鉄(おてつ)らの集団製作。はじめ読者層は関西を中心とした少年店員たちで,のち関東に普及。「猿飛佐助」(1914)は抜群の人気をよんだ。

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世界大百科事典(旧版)内の立川文庫の言及

【立川文庫】より

…1911年から23年にかけて200点近く出版された小型講談本。〈たつかわ文庫〉ともいう。四六半截判,立川文明堂(大阪)刊,定価25銭。初めは京都出身の講釈師玉田玉秀斎の口演を,後妻の山田敬と連れ子の阿鉄(おてつ)ら創作集団が雪花散人,野花散人などの筆名で採録していたが,やがて口演速記だけでなく新しく書き起こしたものも加え,その第40編において《猿飛佐助》(1914)という新しいヒーローを生み出した。…

【真田十勇士】より

猿飛佐助,霧隠才蔵,三好清海入道,三好伊三(いさ)入道,穴山小介,海野(うんの)六郎,筧(かけい)十蔵,根津甚八,望月六郎,由利鎌之助の10人だが,三好清海入道と伊三入道は兄弟とされている。このうち,由利鎌之助,三好清海入道,伊三入道,根津甚八などの名は,《真田三代記》や《大坂夏陣図》などにも見うけるが,〈真田十勇士〉としての武勇伝の数々は,すべて〈立川文庫〉による創作である。〈立川文庫〉は1911年から,25年ころまでに刊行された二百数十巻にのぼる小型の講談本である。…

【文庫本】より

…日本の古典を中心に収録し,12年までに50冊を刊行して文庫本の権威を高めた。文庫の名を大衆的にしたのは,1911年から出版された立川文庫(立川文明堂)である。《猿飛佐助》などの講談ものを収録し,青少年層に圧倒的好評を博した。…

※「立川文庫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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