日本大百科全書(ニッポニカ) 「皮多」の意味・わかりやすい解説
皮多
かわた
皮田(太)、革多(田)などとも書く。戦国時代ころから近世にかけての皮革関係職人の称。関東・東海地方に現れ、豊臣(とよとみ)政権が東海地方から出現したことによって、その呼称が広まった。中世からの身分、職業が戦国大名の武具、馬具の必要性によって、集団的、地域的に編成、把握され、製品の上納義務を負わされた。畿内(きない)とその周辺では、河原者(かわらもの)などが皮多として把握され、「きよめ」(清掃)や行刑役を課された。死牛馬の処理、加工に携わっていたため従来から賤視(せんし)されていたが、近世に入ると、劣悪な条件の居住地が強制され、身分、職業に加えて地域的にも差別されるに至った。そこでは皮多の皮革職人としての性格がしだいに薄れ、穢多(えた)とよばれるようになるなど、差別政策が露骨になってくる。しかし一方、解放闘争も展開されるようになる。差別が体制的に確立する時期については、これまでは近世中期といわれてきたが、最近では、さらにさかのぼるとの説も出されている。
[川島茂裕]
『渡辺広著『未解放部落の形成と展開』(1977・吉川弘文館)』▽『部落問題研究所編・刊『部落史の研究 前近代篇』(1978)』