直野碧玲瓏(読み)ナオノ ヘキレイロウ

20世紀日本人名事典 「直野碧玲瓏」の解説

直野 碧玲瓏
ナオノ ヘキレイロウ

明治期の俳人



生年
明治8年9月25日(1875年)

没年
明治38(1905)年6月5日

出生地
石川県金沢市観音町

本名
直野 了晋

旧姓(旧名)
越野

学歴〔年〕
小学校卒

経歴
北国新聞社の文選工となり、のち編輯部に転じて7年間勤務し、若越新聞社に転じ、数年間勤める。明治25年上京して国民新聞編輯局員となった。俳句は岡野知十門で、29年から正岡子規師事、新聞「日本」「ホトトギス」に投句。31年日本派の最初の句集新俳句」を上原三川と共編した。同年病のため帰郷、再び北国新聞社に入り、社会部を担当の傍ら俳句を選者した。36年「北国俳壇」を創設著書に「碧玲瓏」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「直野碧玲瓏」の解説

直野碧玲瓏 なおの-へきれいろう

1875-1905 明治時代の俳人。
明治8年9月25日生まれ。北国(ほっこく)新聞社,若越新聞社をへて,東京の国民新聞社につとめる。正岡子規(まさおか-しき)にまなび,上原三川(さんせん)と日本派最初の句集「新俳句」を編集した。明治38年6月5日死去。31歳。石川県出身。旧姓は越野。本名は了之晋。別号に蝸堂,緑之助,みどり
格言など】腹中無一物紙の真鯉哉(辞世)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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