日本歴史地名大系 「相賀城跡」の解説 相賀城跡おうがじようあと 茨城県:行方郡麻生町根小屋村相賀城跡[現在地名]麻生町根小屋根小屋(ねごや)の東部、県道沿いの高台にあり、南は断崖、東は北浦、西は雁通(がんづう)川に境された要害の地である。鎌倉初期に逢賀親幹がこの地に築城し、逢賀氏の居城としたが、戦国末期に佐竹義重の家臣佐竹義元(後に相賀に改姓)が主君の命で再建したとされる。手賀氏伝来聞書(前島家文書)によれば、義元は逢賀氏と同族の手賀彦四郎詮秀を養子とし、小高氏の姫を迎えて後継とした。後に小田原北条氏と佐竹氏が対立した時に、詮秀は北条氏に味方した小高氏と戦い、敗れて天正一四年(一五八六)一月に自害した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by