江戸時代において、大名、幕府、旗本、社寺、諸藩家臣が貢租米その他国産物を売却するため設置した屋敷で、倉庫を付設する。大坂、江戸、大津、敦賀(つるが)、長崎など商業、金融上の要衝に置かれたが、ことに大坂で発達し、17世紀後半以降、中之島、土佐堀(とさぼり)川、天満(てんま)堀川、江戸堀川沿岸に数多く設置され、元禄(げんろく)(1688~1704)ごろには約100、幕末には約125存在した。蔵屋敷の主たる役割は、(1)蔵物(くらもの)を売却すること、(2)領内非自給物資を調達すること、(3)借銀をすることであった。蔵屋敷を通じて販売される物資を蔵物というが、その最大のものは貢租米、蔵米であり、大坂では17世紀後半以降、毎年100万~150万石の蔵米が販売された。蔵物の売却は入札制で行われ、入札に参加できる仲買は蔵ごとに指定されていた。これを蔵名前(くらなまえ)という。落札した仲買は代銀を掛屋(かけや)に納め、掛屋はその代銀受取証すなわち銀切手を発行、銀切手は蔵元(くらもと)で米切手と交換された。米切手所有者は蔵元にこれを持参すれば、現米を請求することができた。掛屋は蔵物販売代銀を保管し、必要に応じて大名の国許(くにもと)や江戸藩邸に送金したほか、蔵物を担保として大名貸を行った。このほか蔵屋敷には名代(みょうだい)、用聞(ようきき)、用達(ようたし)、館入(たちいり)といった関係町人がおり、また留守居(るすい)ほか蔵関係役人がいた。堂島(どうじま)米会所は、蔵屋敷から発行される米切手の売買機関であった。蔵屋敷は廃藩置県後、廃止となり、その多くは払い下げられた。
[宮本又郎]
江戸時代,大名(藩),旗本などの諸領主が,貢租米や領内の特産品を販売するために,大坂,大津,堺,敦賀,江戸,長崎などの諸都市に設置した倉庫兼販売機関のことをいう。蔵屋敷を通じて販売される諸品を総称して蔵物(くらもの)と呼ぶが,その中心は貢租米であり,特産品としては砂糖,藍玉,紙,畳表などがあった。通常,蔵屋敷には蔵役人,名代(みようだい),蔵元,掛屋,用聞(ようきき),用達(ようたし)と呼ばれる構成員がいた。蔵役人は領主から派遣された蔵屋敷の元締めたる武士であり,その重職を留守居といった。名代以下は立入人と総称され,主として有力な商人がこれにあたった。名代は蔵屋敷の名義人であり,蔵元は蔵物の管理・出納を,また掛屋は蔵物の代金の管理・出納を行った。用聞,用達は特定の任のない出入りの町人をいう。
このような蔵屋敷は,商業・金融上の一大中心地であった大坂において最も発達した。大坂では,すでに豊臣時代に蔵屋敷がみられるが,江戸時代に入ると諸藩の蔵屋敷を中心にその数は増加し,延宝年間(1673-81)80,元禄年間(1688-1704)95,天保年間(1830-44)125に及んでいる。蔵物の移動には主として水運が利用されたため,これら蔵屋敷の多くは,水運に便利な中之島や土佐堀川,江戸堀川付近に集中していた。大坂の場合,蔵屋敷に回送される蔵米(くらまい)は,堂島米仲買が行う入札によって売却され,落札者は代金納入時に蔵屋敷から米切手を受領した。蔵屋敷は,この米切手と引換えに蔵米を渡したのである。また,江戸中期以降の大坂においては,諸国から年間100万~150万石程度の米穀が回送されていたが,その4分の3程度は蔵米であった。蔵屋敷は諸領主,とくに諸藩の財政機関として重要なものであったが(大名貸),この大坂の場合から知られるように,蔵屋敷は所在都市の経済的発展にとっても大きな役割を果たしていたのである。
執筆者:本城 正徳
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江戸時代,収納した年貢米などを販売するため,諸藩・公家・宮家や大身の幕臣・藩士などが物資の集散地に開設した倉庫兼取引所。江戸・大坂・京都・長崎・敦賀・大津などにおかれた。軒数が最も多く規模も大きかったのが諸藩の蔵屋敷で,藩から派遣された蔵役人と町人からとりたてられた立入人がいた。前者の重職を留守居役とよび,後者には蔵元・掛屋・用達・用聞がいる。諸藩から蔵屋敷に運びこまれた物資は,納屋物に対して蔵物とよばれる。米穀が最も多く,ほかに砂糖・和紙・畳表などもあり,入札により取引された。諸藩の下屋敷のなかにも蔵屋敷と同様の機能をもっていたところがある。
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…江戸は浅草や本所に御蔵があり,浅草御蔵では戸口(戸前(こまえ)と呼ぶ)を2~5ヵ所つけた大きな蔵が54棟も並び,年貢米を収納した。各藩は城下町のほかに,産米の売りさばきのため,大坂堂島川の中之島あたりに蔵屋敷を設けた。蔵屋敷は堂島川から船入の水路を引きこみ,船入の河岸を囲んで数多くの米蔵が建てられた。…
…昭和初期まで商慣用語として使われたが,今日では倉庫保管料という。江戸時代の大坂蔵屋敷では,蔵米の入札販売後30日間は蔵屋敷が無料で米を保管した。しかし実際上,無料保管期限(〈追出し〉という)は徐々に延長され,9~18ヵ月となった。…
…
[原型としての近世大坂の米取引]
日本には現在,商品取引所法に基づいて開設された商品取引所があるが(表参照),その原型は江戸時代にさかのぼることができる。江戸初期,各藩は農民から取り立てた米を当時の商業の中心地大坂に運び込んで蔵屋敷と呼ばれる領内物品の貯蔵,販売のための出張所に蓄え,これを商人に売って藩の費用に充てていた。蔵屋敷の管理者である蔵元は各藩の武士がつとめていたが,しだいにその役を商人に任せるようになり,掛屋(町人蔵元)が生まれた。…
…三郷の町人人口は18世紀中ごろ40万を越えた。貢租米その他の蔵物を積み登す諸藩は大坂中ノ島,土佐堀川,江戸堀川の川筋に蔵屋敷をおいた。その数は明暦年間(1655‐58)25,元禄(1688‐1704)のころ95,天保年間(1830‐44)125を数えた。…
…いずれも払米の一形態である。大坂での払米は各蔵屋敷で入札方式によって行われた。入札の時期は西国・北国米は8~10月ごろから,その他は翌年の3,4月ごろからであった。…
…一方,江戸の風俗や料理の上に及ぼした留守居の会合の影響は大であったといわれている。(3)諸大名の大坂蔵屋敷の役職で大坂蔵屋敷の責任者。商人や掛屋との交渉に当たり,また諸大名蔵屋敷留守居との交際を任とした。…
※「蔵屋敷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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