改訂新版 世界大百科事典 「眉輪王」の意味・わかりやすい解説 眉輪王 (まゆわのおう) 仁徳天皇の皇子大草香皇子(おおくさかのみこ)の子とされる人物。目弱王(まよわのおおきみ)ともいう。《日本書紀》安康2年正月条に安康天皇の皇后中蒂姫(なかしひめ)が,はじめ大草香皇子との間に生んだ子とみえる。父の大草香皇子は讒言(ざんげん)により安康天皇に殺されるが,王は母とともに宮中に入る。雄略即位前紀によれば,父の殺された経緯を知った王は安康天皇を刺殺し,葛城円(かつらぎのつぶら)大臣の宅に逃げるが,雄略天皇に包囲され,大臣らとともに焼殺されたという。執筆者:川口 勝康 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「眉輪王」の解説 眉輪王 生年:生没年不詳 仁徳天皇の孫。大草香皇子の子。目弱王ともいう(『古事記』)。大草香皇子は安康天皇に殺され,妻中蒂姫は安康の皇后となった。眉輪王は母と宮中で生活するが,天皇が父の仇であることを知り,天皇を暗殺し,時の大臣葛城円 を頼った。それに対して安康天皇の弟大泊瀬皇子(のちの雄略天皇)は葛城円の宅を襲撃し,眉輪王,葛城円を焼き殺したという。この事件に関しては葛城氏のその後の動静,蘇我氏とのかかわり,倭の五王の問題と絡んで多様な説が出され,眉輪王の実在性,事件そのものを疑う見解もある。 (関和彦) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「眉輪王」の解説 眉輪王 まよわおう 記・紀にみえる仁徳(にんとく)天皇の孫。父の大草香(おおくさかの)皇子を安康天皇に殺され,母の中蒂姫命(なかしひめのみこと)は皇后とされた。おさない眉輪王(「古事記」では7歳)は安康天皇を刺殺し,大臣葛城円(かずらきの-つぶら)の宅ににげたが,大泊瀬(おおはつせの)皇子(雄略天皇)に攻められ,焼き殺されたという。「古事記」では目弱王。 眉輪王 まゆわおう ⇒まよわおう 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by