日本歴史地名大系 「眉間寺跡」の解説 眉間寺跡みけんじあと 奈良県:奈良市佐保・佐紀地区法蓮村眉間寺跡[現在地名]奈良市法蓮町聖武天皇佐保山南(さほやまみなみ)陵の前に位置したが、明治初年に廃絶。佐保山と号し、律宗。東大寺戒壇(かいだん)院末寺であった。菅家本「諸寺縁起集」に「本尊阿弥陀、又聖観音堂、太子堂并塔在之、此寺仁在聖武天皇淡海公等之御墓在之者也」とみえ、「和州寺社記」には「眉間寺寺領百石は天平勝宝八年丙申五月二日、聖武天皇御年五十六歳にして崩御し給ひ、此所に葬り奉り傍に寺を建給ふ、今に廟あり、二重の塔あり、本尊は地蔵菩薩、霊宝には聖武御所持の舎利同御受戒の持衣宸筆の最勝王経もつけいの十六羅漢あり。毎年五月二日、東大寺の諸僧会合して法事あり。本堂うしろのかたに光明皇后の廟あり」とある。後者によれば、当寺は聖武天皇没後、山陵の傍らに伽藍を創建したことになる。佐保山眉間寺住持次考(薬師院家蔵)によれば天平勝宝六年(七五四)七月八日、聖武天皇が太皇太后藤原氏のために建立し、眺望(ちようぼう)寺と称したが、天徳二年(九五八)四月二日、本尊の眉間から舎利が出たので、これを奏聞し、眉間寺の勅額を賜ったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by