真加部村(読み)まかべむら

日本歴史地名大系 「真加部村」の解説

真加部村
まかべむら

[現在地名]勝田町真加部

現勝田町南部に位置し、梶並かじなみ川右岸に立地。津山城下から吉野よしの郡に至る往来が通り、村の南部に慶安元年(一六四八)当村より分村という河内こうち村がある。貞和三年(一三四七)六月二四日の刑部守延譲状(広峯文書)に守延相伝の檀那地として美作国内「マカヘ」とみえ、童子女の母に一期分として譲られている。永正四年(一五〇七)七月、「小吉野庄之内真壁村」で英賀あが神社(現兵庫県姫路市)蔵の北野天神縁起絵巻が記された。奥書によると願主は原田丹後入道、大原藤武が筆者であった。永禄九年(一五六六)一一月一日の河副久盛宛行状(美作古簡集)に「小吉野之庄真賀部村之内法泉給知同室井給知」とみえ、水島右京助に与えられている。


真加部村
まかべむら

[現在地名]鏡野町真加部

吉井川左岸、北部に丘陵地をもつ準平地村落で、西は山城やましろ村・はら村、南は宗枝むねえだ村・薪森原たきぎもりばら村に接する。中世には一帯真壁庄とも称された香々美新庄が成立した(→香々美庄正保郷帳に真賀部村とあり、高六八七石余、うち田方四九五石余・畑方一九一石余。「作陽誌」では家数七七・人数三八九。元禄一〇年(一六九七)の美作国郷村帳に真壁村とあり、八九九石余。同年の美作国郡村高辻帳では改出高二〇二石余、開高九石余。元禄一一年以降も津山藩領。「作陽誌」によれば、大峪に堤坡、鴫津に渡場があり、また宗枝村と同様に貞享四年(一六八七)の禁漁の制札がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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