日本歴史地名大系 「真壁庄」の解説
真壁庄
まかべのしよう
- 茨城県:真壁郡
- 真壁庄
筑波山北麓と
寛喜元年(一二二九)七月一九日の平時幹宛将軍藤原頼経袖判下文(真壁文書)に「庄領」とあり、この時期までに真壁庄は立荘されているが、当庄と真壁氏の関係は平安末期にさかのぼる。真壁氏の始祖長幹は本宗多気直幹の子で、真壁六郎と称し(常陸大掾伝記)、承安二年(一一七二)頃真壁の地に館を造って入部したという(「真壁安芸守系図」伝正寺蔵)。長幹の入部は平国香以来常陸平氏本宗に相伝されてきた真壁郡司の職を継承してのことであった。しかし郡内には長幹入部以前に開発が進んだ地域も多く、別名として独自の領主・名主支配がみられ、弘安大田文には、「紀三郎名三丁二段 椎尾国貞十丁三段 同貞則十八丁八段 同助貞十一丁二段 光行五十四丁二段大 松久五十八丁一段大」などとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報