矢原庄(読み)やばらのしよう

日本歴史地名大系 「矢原庄」の解説

矢原庄
やばらのしよう

[現在地名]安曇郡穂高町・堀金村豊科町、北安曇郡松川村・池田町の一部

初見は「兵範記」の保元二年(一一五七)三月二九日条で、保元の乱後、太政官符によって散位平正弘領であった「野原郷」が高田郷(水内郡)市村いちむら(同郡)麻績おみ御厨(筑摩郡)などとともに後白河法皇の後院領とされている。その後「吾妻鏡」の文治二年(一一八六)三月一二日条の年貢未済庄々の中に「院御領野原庄」とある。ただし、「兼仲卿記」弘安一〇年(一二八七)の件に、

<資料は省略されています>

とあり、当初元永元年(一一一八)寄進の外宮領であったことが明らかである。また、「神鳳鈔」に「原御厨千八百九十一町」とみえ、このとき内宮領であった。

その後年号不詳八月四日付の後醍醐天皇(大蔵卿吉田冬方、元享二―嘉暦元年の間)が伊勢大神宮祭主藤原隆実に下した綸旨(神宮文庫蔵)によれば、蓮華王院領とされ皇室領になっている。延元四年(一三三九)伊勢神宮政所から注進の「神領給人引付」(神宮文庫蔵)によれば、「矢原御厨」とみえ、神宮領となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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