日本歴史地名大系 「矢原庄」の解説
矢原庄
やばらのしよう
- 長野県:南安曇郡
- 矢原庄
初見は「兵範記」の保元二年(一一五七)三月二九日条で、保元の乱後、太政官符によって散位平正弘領であった「野原郷」が高田郷(水内郡)・
とあり、当初元永元年(一一一八)寄進の外宮領であったことが明らかである。また、「神鳳鈔」に「内矢八原御厨千八百九十一町」とみえ、このとき内宮領であった。
その後年号不詳八月四日付の後醍醐天皇(大蔵卿吉田冬方、元享二―嘉暦元年の間)が伊勢大神宮祭主藤原隆実に下した綸旨(神宮文庫蔵)によれば、蓮華王院領とされ皇室領になっている。延元四年(一三三九)伊勢神宮政所から注進の「神領給人引付」(神宮文庫蔵)によれば、「矢原御厨」とみえ、神宮領となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報