日本歴史地名大系 「矢田城跡」の解説 矢田城跡やだじようあと 三重県:桑名市矢田村矢田城跡[現在地名]桑名市矢田矢田の西北部丘陵地の走井(はしりい)山にある中世の山城跡。鈴鹿山脈全体と伊勢湾全域が見通せる場所にあり、矢田半右衛門俊元の築城による。矢田家は安芸の人で代々毛利家に仕えていたが、俊元は故あって伊勢北畠家に仕え北伊勢を攻略し、矢田城を築き縄生(なおう)(現三重郡朝日町)・金井(かない)・安永(やすなが)に家臣を配した。勢力が盛んとなるにつれて近隣の西別所(にしべつしよ)・蓮花寺(れんげいじ)・糠田(ぬかた)・星川(ほしかわ)各城の城主が配下となった。しかし永禄年中(一五五八―七〇)に織田信長勢の伊勢攻略の時に滝川一益に攻められて落城した(久波奈名所図会)。その後は長島一向一揆攻略の前線基地として、天正元年(一五七三)信長は「矢田之城御普請丈夫」に一益を配置(信長公記)。 矢田城跡やだじようあと 京都府:亀岡市下矢田村矢田城跡[現在地名]亀岡市下矢田町法楽寺(ほうらくじ)山の北の小山にあり、現在は草木が生い茂る。「桑下漫録」に「里人城山と言、上は大方一段斗平にして少石垣も有、砦の屋敷跡なるべし」とあり、中世の城砦の一つである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by