日本歴史地名大系 「矢田新村」の解説 矢田新村やたしんむら 石川県:小松市旧江沼郡地区矢田新村[現在地名]小松市矢田新町柴山(しばやま)潟東岸にあり、北陸街道に沿う。東は矢田村・矢田野(やたの)村、南は高塚(たかつか)村(現加賀市)。矢田村の出村で、初め高地にあったが、北陸街道ができたため、街道沿いに村が移ったという。享保一〇年(一七二五)の村御印(小松市史)によれば高一八一石、免二ツ二分、小物成に郡打銀二三匁余がある。「江沼志稿」では高一八一石、免二ツ二分、小物成に鍬米九斗八升があり、越石は中島(なかじま)村(現加賀市)へ三六石余、月津(つきづ)村へ三二石余、高塚村へ四九石余がある。 矢田新村やたしんむら 富山県:高岡市旧射水郡小矢部川左岸地区矢田新村[現在地名]高岡市伏木矢田新町(ふしきやたしんまち)・伏木古府(ふしきこふ)一丁目・伏木矢田上町(ふしきやたかみまち)二上(ふたがみ)丘陵の東方、矢田村の北方に位置。矢田村領のうちで寛文四年(一六六四)に一五石ほどの畑新開が行われ、のち同地に村立てした(「高免等書上帳」折橋家文書)。当村と中伏木村(現新湊市)飛地に挟まれた丘の上辺りで畑作が行われた。 矢田新村やたしんむら 石川県:七尾市矢田新村[現在地名]七尾市矢田新町小河川ながら暴れ川である大谷(おおたに)川が臨海部で形成した沖積地に展開する村で、矢田村の北に位置する。天保一四年(一八四三)の口郡新村調理帳(加越能文庫)に村名がみえ、矢田村から分離して成立。高六八石余、免三ツ六歩、無家村。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by