日本歴史地名大系 「知和村」の解説 知和村ちわむら 岡山県:苫田郡加茂町知和村[現在地名]加茂町知和西は青柳(あおやぎ)村、東は山下(さんげ)村で、山下村との境にそびえる矢筈(やはず)山(高山)は標高七五六・四メートル。北方阿波(あば)村(現阿波村)から村内を経て南西に加茂川が流れる。建久二年(一一九一)五月一九日の西大寺所領諸庄園注文(西大寺文書)に「苫田郡知和庄」が記される。正保郷帳に高七七石余、うち田方六六石余・畑方一一石余とある。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高一九二石余・開高一四石余。 知和村ちわむら 広島県:双三郡吉舎町知和村[現在地名]吉舎町知和甲奴(こうぬ)郡安田(やすだ)村の北西に位置し、南から西にかけての村境を上下(じようげ)川が流れ、その沖積平野に立地。「国郡志下調書出帳」には「誠に一目に見渡候村ニ御座候」「村中不残大川筋ニ候間、砂真土多く米の味宜しく五穀をはしめ麻・烟草・綿何によらすよく受申候」と記される。甲奴郡に属した。中世には長井(永井)氏が地頭として支配した田総(たぶさ)庄に属したと思われる。元和五年(一六一九)の備後国知行帳には「千和村」として高三五九・四一二石が記される。前記書出帳によると、農業一途の村で稲・麦のほか綿・茶・楮・麻・漆の物産が少々ずつあり、浮儲仕事に「草履草鞋縄莚様の藁細工仕候へとも、さしたる事ハ無御座候」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by