石原宿(読み)いしはらしゆく

日本歴史地名大系 「石原宿」の解説

石原宿
いしはらしゆく

[現在地名]日野町石原

石原村に設けられた御代参ごだいさん街道の宿駅で、成立は寛永一七年(一六四〇)春日局が伊勢神宮から多賀大社への参詣にあたり、伏見奉行小堀遠江守が石原村に対して八日市村までの臨時の人馬継立を命じたことに始まる。このときは石原村の嘆願により、小御門こみかど村・三十坪みそつ村、鋳物師いもじ村・下麻生しもあそう村・上麻生村大森おおもり(現蒲生町)の六ヵ村の助郷を得て継立を行っている(安井文書)。延宝六年(一六七八)四月の清浄光しようじようこう(現神奈川県藤沢市)遊行上人の通行を契機として常設の人馬継立宿となり(金屋共有文書)、以後石原・小谷こだに鋳物師三村で継立にあたった(安井文書)。元治元年(一八六四)に伏見奉行所が定めた定駄賃はそれまでの四割増で、当宿から八日市宿まで荷物一駄二九四文・軽尻二三五文・人足一四七文、鎌掛かいがけ宿までは荷物一駄一九四文・軽尻一五五文・人足九五文、中山道武佐むさ宿(現近江八幡市)まで荷物一駄四〇二文・軽尻三〇二文・人足二〇一文、東海道水口みなくち宿(現甲賀郡水口町)まで荷物一駄一九四文・軽尻一五五文・人足九五文であった(丹羽文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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