日本歴史地名大系 「石薬師村」の解説
石薬師村
いしやくしむら
鈴鹿川北岸の台地上、南北に細長い東海道の宿駅で、北部を
高富村の文禄検地帳(大森家蔵)には、田畑屋敷合二五町六反四畝二三歩、分米合三五六・五五三石とある。慶長六年(一六〇一)神戸一柳監物の領分となったが、元和二年(一六一六)ここに石薬師宿が置かれることになった。同地の元本陣小沢家に残る延享四年(一七四七)の宿役軽減歎願書に「往古は四日市より亀山宿江馬継にて御座候処、此間道法五里余にて人馬共難儀仕候に付、元来石薬師宿は元和中まで高富村と申す小村にて、薬師堂の前に村居仕り罷り在り候。百三拾弐年已前、元和弐辰年、京都御所司板倉伊賀守様御見分にて御伝馬宿に仰付けなされ候」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報