日本歴史地名大系 「石見銀山跡」の解説
石見銀山跡
いわみぎんざんあと
一六世紀前半から本格的に採掘が始められ、江戸時代にも引続き稼行された鉱山。閉山は大正一二年(一九二三)。戦国期には史料上は「石州銀山」「銀山」と記されるのが一般的であるが、天文二一年(一五五二)一二月二日の尼子晴久袖判奉行人連署書状写(尼子家古記録)には「佐間銀山」とみえる。また銀の積出しや銀山への物資搬入で活況を呈した
〔中世〕
「銀山旧記」など近世に記された文献によれば、銀山は延慶年間(一三〇八―一一)大内弘幸が開発したと伝え、その後南北朝期には足利直冬によって銀が採掘されたという。戦国時代の再開発についてもこれらの文献に拠るところが多いが、周辺史料などからも再開発の時期は大永―天文年間(一五二一―五五)というのはほぼ確実なところであろう。大永六年に筑前
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報