日本大百科全書(ニッポニカ) 「磯又右衛門」の意味・わかりやすい解説
磯又右衛門
いそまたえもん
(1804?―1863)
柔術の天神真楊流の祖。名は正足(まさたり)、柳関斎(りゅうかんさい)と号す。紀州藩領伊勢(いせ)松坂の生まれ。本姓は岡山八郎治(はちろうじ)。幼少より武術を好み、15歳のとき江戸へ出て、一柳織部義路(ひとつやなぎおりべよしみち)に楊心流を、ついで本間丈右衛門正遠(ほんまじょうえもんまさとお)に真之神道(しんのしんとう)流を学び、その奥義を究めた。さらに数か年諸国を修業し、真の当身(あてみ)を受けることをくふうし、1822年(文政5)124手の手数を定め、天神真楊流を始めた。28年幕臣磯氏(20俵一人扶持)の家督を相続し、神田お玉が池の本道場をはじめ、江戸市中数か所に稽古(けいこ)所を設け、門人は5000を数えたという。
[渡邉一郎]