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天神真楊流 てんじんしんようりゅう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

天神真楊流
てんじんしんようりゅう

柔術流派の一つ。徳川家斉の頃 (1787~1837) ,流祖磯又右衛門正足が楊心流真之神道流とを合流させて創立した。楊柳心法を重んじ,技術は居捕 (いどり) ,立合 (たちあい) ,壁添 (かべぞい) ,行合 (ゆきあい) などから成り,当身 (あてみ) ,活法などに特色があった。形を順序に従って数多く稽古し,次に乱れ稽古 (乱取) を加えて技を修練した。嘉納治五郎は天神真楊流を学び,そのすぐれた固技当身技を講道館柔道創始時の技術基盤とした。

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デジタル大辞泉の解説

てんじんしんよう‐りゅう〔テンジンシンヤウリウ〕【天神真×楊流】

柔術の一流派。江戸後期、紀州藩士の磯又右衛門(1786~1863)が創始。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

天神真楊流
てんしんしんようりゅう

幕末に台頭した柔術の一流派。流祖は磯又右衛門正足(いそまたえもんまさたり)(1804?―63)。正足は、本名岡山八郎治(はちろうじ)、伊勢(いせ)国松坂在勤の紀州藩士の家に生まれ、幼少より武術を好み、15歳のとき江戸へ出て、楊心(ようしん)流の一柳織部義路(ひとつやなぎおりべよしみち)の門に学ぶこと7年、師の死後、さらに真之神道(しんのしんとう)流本間丈右衛門正遠(ほんまじょうえもんまさとお)(環山(かんざん))に入門し、6年たらずでその奥義を究めたという。
 ついで廻国修行の途中、東海道草津宿で、人助けのため、門人西村某(ぼう)とわずか2人で、100余人の者を相手にした際、初めて当身(あてみ)の効用を悟り、さらに真(しん)の当(あ)てを求めて修行を重ね、1822年(文政5)2流をあわせ、新しいくふうを加えて、天神真楊流を標榜(ひょうぼう)し、江戸・神田お玉が池に道場を開いた。のち、ゆえあって一時栗山(くりやま)又右衛門と称したが、28年幕臣磯氏に入り婿して磯又右衛門正足と名のり、柳関斎(りゅうかんさい)と号した。
 教授の内容は、最初に真之神道流の手解(てほどき)7本に新しく5本を加えて12本とし、ついで初段には両流から選んだ居捕(いどり)・立合(たちあい)各10本、次の中段には居捕・立合各14本に投捨(なげすて)20本、さらに極意上段には立合・居捕各10本、これに加えて経絡(けいらく)、急所および誘活(さそいかつ)、襟活(えりかつ)、陰嚢活(いんのうかつ)、惣活(そうかつ)などの活法(かっぽう)や打ち身の治療に用いる薬法に至るまで、その懇切さで人気が高かった。また門人には、次男の又一郎正光(まさみつ)(2代)や、又一郎の養子となった又右衛門正智(まさとも)(3代)をはじめ、野原柳之輔(りゅうのすけ)、原田要人之輔や、明治になって講道館柔道の創始者嘉納治五郎(かのうじごろう)の師となった福田八之助らが有名であった。[渡邉一郎]

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