天神真楊流(読み)テンジンシンヨウリュウ

デジタル大辞泉 「天神真楊流」の意味・読み・例文・類語

てんじんしんよう‐りゅう〔テンジンシンヤウリウ〕【天神真×楊流】

柔術の一流派江戸後期、紀州藩士の磯又右衛門(1786~1863)が創始

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精選版 日本国語大辞典 「天神真楊流」の意味・読み・例文・類語

てんじん‐しんようりゅう‥シンヤウリウ【天神真楊流】

  1. 〘 名詞 〙 柔術の流派の一つ文政一八一八‐三〇)頃、紀州藩士磯又右衛門正足(柳関斎)が、一柳織部に楊心流を、本間丈右衛門真之神道流を学び、その長所を採って創始したもの。幕末に江戸で流行した。真楊流。〔天神真楊流柔術極意教授図解(古事類苑・武技一七)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天神真楊流」の意味・わかりやすい解説

天神真楊流
てんじんしんようりゅう

幕末に台頭した柔術の一流派。流祖は磯又右衛門正足(いそまたえもんまさたり)。正足は、本名岡山八郎治(はちろうじ)、伊勢(いせ)国松坂在勤の紀州藩士の家に生まれる。幼少より武術好み、15歳のとき江戸へ出て、楊心(ようしん)流の一柳織部義路(ひとつやなぎおりべよしみち)の門に学ぶこと7年、師の死後、さらに真之神道(しんのしんとう)流本間丈右衛門正遠(ほんまじょうえもんまさとお)(環山(かんざん))に入門し、6年たらずでその奥義を究めたという。

 ついで廻国修行の途中、東海道草津宿で、人助けのため、門人西村某(ぼう)とわずか2人で、100余人の者を相手にした際、初めて当身(あてみ)の効用を悟り、さらに真(しん)の当(あ)てを求めて修行を重ね、1822年(文政5)2流をあわせ、新しいくふうを加えて、天神真楊流を標榜(ひょうぼう)し、江戸・神田お玉が池に道場を開いた。のち、ゆえあって一時栗山(くりやま)又右衛門と称したが、1828年幕臣磯氏に入り婿して磯又右衛門正足と名のり、柳関斎(りゅうかんさい)と号した。

 教授の内容は、最初に真之神道流の手解(てほどき)7本に新しく5本を加えて12本とし、ついで初段には両流から選んだ居捕(いどり)・立合(たちあい)各10本、次の中段には居捕・立合各14本に投捨(なげすて)20本、さらに極意上段には立合・居捕各10本、これに加えて経絡(けいらく)、急所および誘活(さそいかつ)、襟活(えりかつ)、陰嚢活(いんのうかつ)、惣活(そうかつ)などの活法(かっぽう)や打ち身の治療に用いる薬法に至るまで、その懇切さで人気が高かった。また門人には、次男の又一郎正光(まさみつ)(2代)や、又一郎の養子となった又右衛門正智(まさとも)(3代)をはじめ、野原柳之輔(りゅうのすけ)、原田要人之輔や、明治になって講道館柔道の創始者嘉納治五郎(かのうじごろう)の師となった福田八之助(はちのすけ)(1828―1879)らが有名であった。

[渡邉一郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天神真楊流」の意味・わかりやすい解説

天神真楊流
てんじんしんようりゅう

柔術の流派の一つ。徳川家斉の頃 (1787~1837) ,流祖磯又右衛門正足が楊心流と真之神道流とを合流させて創立した。楊柳の心法を重んじ,技術は居捕 (いどり) ,立合 (たちあい) ,壁添 (かべぞい) ,行合 (ゆきあい) などから成り,当身 (あてみ) ,活法などに特色があった。形を順序に従って数多く稽古し,次に乱れ稽古 (乱取) を加えて技を修練した。嘉納治五郎は天神真楊流を学び,そのすぐれた固技当身技を講道館柔道創始時の技術基盤とした。

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