社会主義教育運動(読み)しゃかいしゅぎきょういくうんどう(英語表記)Shè huì zhǔ yì jiào yù yùn dòng

改訂新版 世界大百科事典 「社会主義教育運動」の意味・わかりやすい解説

社会主義教育運動 (しゃかいしゅぎきょういくうんどう)
Shè huì zhǔ yì jiào yù yùn dòng

1962年冬から66年春にかけて行われた中国の総点検運動で,文化大革命の前奏曲となった。この運動の背景には,社会主義の行方をめぐる激しい路線対立があった。すなわち,社会主義社会にあっては階級闘争は消滅した,重要なのは生産の組織化だ,とする劉少奇らに対して,それと対立する立場をとる毛沢東の対立である。毛沢東は,62年の中共8期10中全会で,社会主義社会を貫いて階級闘争が存在するという過渡期階級闘争理論を打ちだし,それをふまえて社会主義教育運動を発動した。

 初め運動は,都市の大学・専門学校や機関のスタッフを工作組として農村や工場に〈蹲点(住みこみ)〉させ,清賬(帳簿点検),清財(財政点検),清庫(在庫点検),清工(労働点数点検)の〈四清〉をすすめるなかで,大衆を立ちあがらせ,新生ブルジョア分子を摘発し,階級闘争と階級教育を行う目的で始められた。しかし,生産の組織化を重視する劉少奇の側からは,汚職摘発運動に比重のかかった指導が行われ,運動は下部で混乱した。65年に入ると,毛沢東は,〈農村社会主義教育運動のなかで提起されたいくつかの問題〉(二十三条と略称される)のなかで,〈四清〉を,政治思想,組織,経済の四つを清める運動と規定しなおすとともに,打倒対象として,〈党内の資本主義の道を歩む実権派〉なる新しい概念を提起した。こうして,運動は文化大革命に受け継がれていく。文革終息後にあっては,社会主義教育運動を背後から支える毛沢東の過渡期階級闘争論そのものが,当時の情勢に対する極〈左〉的誤認であるとしてその責任を問われるにいたり,この運動のなかで生まれた貧農下層中農協会も解散させられた。
文化大革命
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