日本歴史地名大系 「神主村」の解説 神主村かんぬしむら 島根県:江津市神主村[現在地名]江津市二宮町神主(にのみやちようかんぬし)日本海に臨み、東は都野津(つのづ)村および神(か)村。島の星(しまのほし)山を源とする水尻(すいじり)川は神村を経て当村を東から北西に貫流して日本海に注ぐ。中世都野(つの)郷の領主都野氏の本拠地で、二宮多鳩(たばと)神社と居城高田(たかだ)城(神主城)があった。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原戦後徳川氏の直轄下に入り、同七年には大久保長安による検地が行われた(小川家文書)。この地域は古くは飯田(いいだ)村・神主村・上(かみ)(神)村の地域で津野(つの)村を構成していたようで、元和五年(一六一九)の古田領郷帳では神主村の表示はなく、津野村として記載される。正保四年(一六四七)の古田領郷帳で「都野津村ヘ入ル」として神主村の名がみえ、高二〇六石余、免六ツ三歩。 神主村こうぬしむら 京都府:竹野郡丹後町神主村[現在地名]丹後町神主南は現弥栄(やさか)町に接し、西は大石(おおいし)村。北に石(いし)岳を負った山間の村である。近世初期には宇川(うかわ)村の内で延宝三年郷村帳に「宇川庄神主村」高四八・三一二石とみえる。延宝九年(一六八一)の延高で六七石余となった(天和元年宮津領村高帳)。宮津藩領であったが、寛文六年(一六六六)幕府領(宇川村として)、同九年宮津藩領、延宝八年幕府領、翌年宮津藩領、享保二年(一七一七)幕府領、宝暦一三年(一七六三)但馬出石藩領、天保六年(一八三五)幕府領と変遷。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by