日本歴史地名大系 「二宮村」の解説
二宮村
にのみやむら
南に相模湾を望み、海沿いを東海道が通る。
近世は初め幕府直轄領、元禄一二年(一六九九)六浦藩領と幕府直轄領の二給、文化八年(一八一一)六浦藩領と旗本曾我・小笠原領の三給。大磯宿の大助郷を勤め、元禄七年の助郷高五五一石(「大磯宿助郷村高覚」県史九)。天明五年(一七八五)一一月の漁猟場紛争につき願書(県史五)によると船六艘で船持が六名おり、運上を支払うことで漁場占有権を得、猟場を分割して漁を営んだ。
二宮村
にのみやむら
天正八年(一五八〇)から一部が長連竜領で、文禄二年(一五九三)の鹿島半郡高帳に村名がみえ、高四九石余が長領。正保郷帳では同領高八〇石余、田方五町三反余で畑方少々、免は三ツ二歩三厘。加賀藩直轄領は慶長一一年(一六〇六)の年貢米先高八六八俵・出分六〇俵余(「田畠先高分書付」二宮区有文書)。正保郷帳では高四六四石余、田方二六町八反余・畑方四町六反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印(二宮区有文書)の高五一五石、免四ツ三歩、小物成として山役二七九匁・苦竹役一五匁。
二宮村
にのみやむら
二宮村
にのみやむら
津山城下近郷西部に位置し、東は
二宮村
にくうむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報