日本歴史地名大系 「神原八幡宮」の解説 神原八幡宮かみはらはちまんぐう 佐賀県:伊万里市大里村神原八幡宮[現在地名]伊万里市二里町大里乙烏帽子(えぼし)岳の東麓丘陵地にある。祭神は国常立尊・応神天皇・天照大神を主神としてほかに一四柱を合祀。旧郷社。江戸時代に有田郷の郷社で、雨乞い・風虫害除の祈願所。南北朝時代、宮方の菊池武重は松浦党と策応の必要上、神助を祈願し、正平(一三四六―七〇)の頃負傷して身を忍ばせ菊池をはばかって武重を姓とし、当社の宮司となって再興を祈ったと社記にある。武重の活動は、延元三年(一三三八)の筑後の合戦が最後である(菊池勤王史)。神職武重家の口伝に、武重が若武者に火煙の中にも堪えうる士気を養わせ、忠勤を尽くさせるために「取り追い」の祭事を行ったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by