神成村(読み)かみなりむら

日本歴史地名大系 「神成村」の解説

神成村
かみなりむら

[現在地名]富士宮市村山むらやま

大岩おおいわ村の東、富士山南西麓の丘陵に立地する。中世には神鳴・雷とも記される。天文二年(一五三三)一〇月一九日の今川氏輝判物(旧辻坊葛山氏文書)によれば、村山浅間神社別当寺の興法こうほう寺寺務代辻坊頼真が同社領の「木伐山・神成」などを安堵されている。その後頼真は神成のほか村山・木切山ききりやまなどを興法寺池西ちせい坊と兼帯する条件で、葛山助六郎に譲与し、同二三年七月九日に安堵されている(「今川義元判物写」葛山文書)


神成村
かんなりむら

[現在地名]福光町神成

山田やまだ川西岸、久戸ひさと村の南にある。文明一三年(一四八一)に当地から田屋たや(現福野町)地先で井波瑞泉いなみずいせん寺と福光城主石黒右近光義・医王いおう山天台宗徒との合戦が行われたといわれ(闘諍記)、その合戦と関係するとも考えられる武具出土がみられる(福光町史)。元和五年(一六一九)の家高新帳に神成とみえ、上組本江組に属し、役家数七。正保郷帳では高四二九石余、田方二七町六反余・畑方一町。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高三六九石、免五ツ五歩、小物成は山役八四匁(三箇国高物成帳)


神成村
かんなりむら

[現在地名]富岡市神成

上小林かみこばやし村の北、東は神原かのはら村、西は蚊沼かぬま村・中沢なかざわ村と接する。寛文郷帳では幕府領、田方六一四石四斗余・畑方一八四石余。元禄郷帳では幕府領と旗本宮崎・三枝竹川領の四給。近世後期の御改革組合村高帳では幕府領と旗本竹田・竹川・宮崎・三枝領の五給、家数一三六。嘉永四年(一八五一)より一五年間の中山道安中宿の代助郷一八九石を勤める(嘉永五年「安中宿明細帳」安中市教育委員会蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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