神戸挙一(読み)かんべ・きょいち

朝日日本歴史人物事典 「神戸挙一」の解説

神戸挙一

没年:昭和1.11.25(1926)
生年:文久2.2.21(1862.3.21)
明治大正期の甲州財閥重鎮。甲州都留郡東桂村(都留市)出身生家没落で苦学して和仏法律学校(法政大)を卒業し山梨県会書記となるが,若尾逸平に認められて東京馬車鉄道の支配人に抜擢される。その後,日本鉄道専務取締役を経て,甲州財閥系の東洋モスリンの設立に参画して専務取締役に就任する。明治44(1911)年に東京電燈に入社し,翌年佐竹作太郎のあとを受けて社長に就任し,おりから激化していた東京の電力供給の覇権を争った三電抗争で東京電燈を勝利に導き,東京電燈の黄金時代を築いた。他に信越電力など甲州系企業の重役に名を連ねる。

(齋藤康彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「神戸挙一」の解説

神戸挙一 かんべ-きょいち

1862-1926 明治-大正時代実業家
文久2年2月21日生まれ。若尾逸平にみとめられ,東京馬車鉄道の支配人となる。日本鉄道の専務をへて明治41年東洋モスリンの創立に参画し,専務に就任。のち東京電灯社長。大正15年11月25日死去。65歳。甲斐(かい)(山梨県)出身。和仏法律学校(現法大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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