神戸文哉(読み)かんべぶんさい

改訂新版 世界大百科事典 「神戸文哉」の意味・わかりやすい解説

神戸文哉 (かんべぶんさい)
生没年:1848-99(嘉永1-明治32)

信州小諸で生まれ,京都,大阪で活躍した明治期の医師京都癲狂院時代にレーノルズ編《内科全書》(1872)中のモーズリー著〈精神病〉の章を訳出し,《精神病約説》3冊(1876)の表題刊行した。日本で最初の西洋精神医学書の翻訳である本書は〈精神病〉〈妄想〉などの用語を定着させることによって,日本の近代精神医学を基礎づけることに貢献した。晩年は内科・外科開業して声名をはせ,1893年には大阪医海二十傑の内科第1位に選ばれた。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「神戸文哉」の解説

神戸文哉 かんべ-ぶんさい

1848-1899 明治時代の医師。
嘉永(かえい)元年生まれ。明治9年イギリスの精神医学者モーズリの「精神病約説」を翻訳・刊行,わが国の近代精神医学の発展に寄与した。京都などで内科・外科医院を開業。明治32年死去。52歳。信濃(しなの)(長野県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の神戸文哉の言及

【精神医学】より

…こうして築かれた江戸期の精神医学も,明治時代に入ると,ほかの漢方系医学と同じく急速に衰退し,西欧系の精神医学が代わって採用される。その最初の紹介が神戸文哉(かんべぶんさい)によるJ.R.レーノルズ編《内科学全書》(1872)中のH.モーズリー著〈精神病〉の章の訳出で,1876年に《精神病約説》を表題として刊行され,また,3年後には最初の精神医学の講義が御雇外国人の内科教師E.vonベルツにより現在の東大医学部で行われた。 ちなみに,日本では明治以後〈精神病学〉という用語が長く使われ,〈精神医学〉がそれに代わったのは第2次大戦以後のことで,後者は時の東大教授内村祐之の訳語といわれる。…

【精神病】より

…こうした漢方系の概念は明治期に入ると急速に衰退し,西欧系のそれにとって代わられる。なお,日本語の〈精神病〉は,神戸文哉(かんべぶんさい)がJ.R.レーノルズ編《内科学全書》(1872)中のH.モーズリー著〈精神病〉の章を邦訳した表題に《精神病約説》(1876)として用いたのが最初とされる。狂気精神医学【宮本 忠雄】。…

※「神戸文哉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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