翻訳|psychosis
和漢医学では精神の病を「癲狂」などの名称で呼んでいた。「内科撰要」(一七九二)は「精神錯乱」という名称を用いている。「精神病」は挙例の「医語類聚」に見られるが、一般化したのは、明治三〇年代以降のことと考えられる。
精神の異常ないし病的状態は人類の歴史とともに古い。古代ギリシア・ローマの時代にはすでに,〈神聖病〉と呼ばれたてんかん,黒胆汁の過剰によると説明されたメランコリア,狂乱状態を示すマニア,子宮(ヒュステラ)が体内で動き回る婦人病としてのヒステリーなどが知られていた。これらが〈精神病〉という総称のもとに体系化されるのは,精神医学がやっと自立の活動をみせる19世紀になってからで,〈精神病Psychose〉の語も1845年にウィーン大学のフォイヒタースレーベンE.von Feuchterslebenがその著《心の医学の教科書》で初めて使ったとされる。この概念は今でも〈精神障害〉と類似の総称として使われるが,狭義には,生まれつきの片よりである精神遅滞と性格異常(異常人格),正常心理から追体験できる各種の神経症(ノイローゼ)などは除外し,ふつうには了解できない異質の精神症状を示し,しかも〈自分は病気だ〉という意識(病識)ないし自己批判力を失っている状態に限定される。
こうした精神病の全体は表に見るとおり原因によって3種に分かれるが,(1)は〈心因性〉,(2)は〈内因性〉,(3)は〈外因性〉と呼ばれることもある。このうち最も中核を占めるのは(2)に属するもので,(a)原因が明確でなく,(b)遺伝を疑わせる余地があり,(c)再発や慢性化のため完治しにくいなどの理由から,社会的に忌避されたり,世間の偏見にさらされる。ちなみに,従来,てんかんをここに加えて〈三大精神病〉と呼びならわすこともあったが,精神生理学の進歩によりその本態が解明されるようになって以来,てんかんはここから外すのが一般で,残る統合失調症と躁うつ病が〈二大精神病〉と呼ばれる。精神病の症状は個々に異なるので一概には述べられないが,ばらばらに関連なく現れるのではなく,それぞれ一つのまとまりをもつ特有な状態像または症状群を形成する場合が多い。その主要なものとして,各種の精神病の初期に現れやすい不安・緊張・焦燥状態,統合失調症に特有な幻覚・妄想状態,躁うつ病に特有な気分高揚状態とその逆の抑うつ状態,外因性の病気に特有な意識の障害を中心とする錯乱状態,そのあとにくることの多い健忘症状群(またはコルサコフ症状群),統合失調症の慢性期にくることの多い欠陥状態,外因性疾患の中期以後に現れる認知症(痴呆)状態などが挙げられる。ただし,一般の身体病とおなじく,精神病に一定の原因,症状,経過,病理所見といった疾患の要件を適用すると,それを満たすものは少なく,進行麻痺などを除けば,精神病の大半は単位的疾患ではなく症状群にすぎなくなる。
東洋の医学でも精神病の記述は古くからあり,とりわけ古代中国では,紀元前にすでに,今日のてんかん(癲癇)にあたる〈癲疾〉,精神病に属する各種の〈狂〉がかなり厳密に定義され,のちにはヒステリーに相当する〈婦人臓躁〉なども記載されて,西欧に劣らぬ高度の水準を保っていたと想像される。それが日本に伝えられたのは6~7世紀のころで,701年(大宝1)に成立した大宝令の戸令には〈癲狂〉の語が見え,養老令の注釈書《令義解》にも〈癲というは,発する時,地に仆れ,涎沫を吐き,覚ゆる所なきなり。狂というは,或いは妄触して走らんと欲し,或いは自ら高賢とし,聖神と称する者なり〉と記述されている。この概念はその後も忠実に受けつがれ,江戸時代中期には〈癲〉〈癇〉〈狂〉という精神病の三大別が定着するにいたる。このうち〈癲〉は成人の癲癇と一部の精神分裂病(統合失調症)様状態を,〈癇〉は小児の癲癇,成人の心身症や神経症,〈狂〉は統合失調症を指していたと考えられるが,相互の境界は必ずしも明確でない。こうした漢方系の概念は明治期に入ると急速に衰退し,西欧系のそれにとって代わられる。なお,日本語の〈精神病〉は,神戸文哉(かんべぶんさい)がJ.R.レーノルズ編《内科学全書》(1872)中のH.モーズリー著〈精神病〉の章を邦訳した表題に《精神病約説》(1876)として用いたのが最初とされる。
→狂気 →精神医学
執筆者:宮本 忠雄
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精神に異常をきたした状態を総称して精神障害とよぶが、そのなかの一部をとくに精神病とよぶことがある。したがって、精神病は精神障害よりは狭い概念である。具体的にどのような精神障害を精神病とよぶかについてはかならずしも一致した見解があるわけではなく、大きく分けて次のような二つの立場がある。
その一つはドイツ語圏の考え方で、脳が直接、間接に侵されて現れる精神障害を精神病とよぶとするものである。すなわち、脳の血管障害、脳の感染性の疾患、頭部外傷などによって直接脳に障害が加わって精神症状が出現する場合(脳器質精神病)や、内分泌疾患、代謝疾患や腎臓(じんぞう)や肝臓など内臓臓器の障害などの身体疾患に罹患(りかん)した結果、脳が間接的に障害された場合に出現する精神障害(症状精神病)がそれにあたるが、そのほかに統合失調症、感情障害(そううつ病)などをあわせて精神病とよぶ考え方である。この立場からすると、心理的原因や環境、性格的な問題で症状が出現する神経症や心因反応などは精神病からは除外される。
もう一つは精神障害の重いものを精神病とよぶとする立場である。すなわち、幻覚や妄想が強かったり、強い興奮やうつ気分、活動性の亢進(こうしん)、精神運動の抑制などにより周囲との接触が失われたり、人格の変化がもたらされたり、現実検討の能力が失われたり、社会適応の障害があったり、病識を欠いていたりといった、どちらかといえば重症の精神障害を精神病とよび、程度の軽いものを神経症などとして精神病から除く立場である。国際疾病分類(ICD)はおおむねこの立場をとっているが症状の重さはときには判定しがたく、神経症でも強い反応を呈する場合には精神症状も激越のこともあり、両者の区別を症状の重症度で分けることはかならずしも容易ではない。一般には脳が直接、間接に、器質性あるいは機能性に障害され、幻覚、妄想、人格変化などの症状を呈する場合を精神病といい、内因性精神病、器質精神病、症状精神病などとよばれるものがこれに相当するといえよう。
このような精神病の定義とは関係なく、「小児精神病」とか「アルコール精神病」などという呼び方が用いられるが、これらの多くは症状発現の年齢や症状を引き起こす物質や原因の名前を冠して名づけたもので、ときには「小児精神障害」あるいは「老年期精神障害」とよんだほうがよい場合もある。
[山内俊雄]
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…狂気とは,字義通りに解釈すれば〈気の狂っていること〉〈気の違っている状態〉を指し,こんにちの精神病一般と変わらなくなるが,精神病が近代医学により疾患として認知された学問的概念であるのに対し,狂気は学問的に規定される以前の広義の精神変調状態を漠然と総称する世俗的概念で,厳密な定義の対象になりにくい。そもそも狂気が治療すべき自然的な疾患としてでなく,なにかしら超自然的な事態として,または正気の人間には得がたいなにかをもたらしてくれる神聖な現象として人々から迎えられたことには,多くの根拠がある。…
※「精神病」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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