禅寂寺(読み)ぜんじやくじ

日本歴史地名大系 「禅寂寺」の解説

禅寂寺
ぜんじやくじ

[現在地名]和泉市阪本町

戒下かいげ集落の立地する標高四〇メートル前後の台地の南端近くにあり、現在の境内より南方創建期の遺構が確認されている。弥勒山と号し、もと律宗、現在は高野山真言宗。本尊薬師如来。創建は当地の古代氏族坂本朝臣で、坂本寺と称したと考えられているが、寺伝では行基が開基で、天平元年(七二九)の創建とされ、中興西大寺叡尊とする。しかし遺構の発掘調査の結果、創建は寺伝より古いと推定されている。当寺は古代の史料にはみえないが、建永二年(一二〇七)七月八日の僧深慶某寺領注進状(正木直彦氏所蔵文書)に「和泉国末寺禅寂寺」とみえる。次いで正応二年(一二八九)書写の「和泉国神名帳」に「従五位上禅釈寺社」とみえ、鎮守社があった。叡尊の中興は確かめられないが、明徳二年(一三九一)九月二八日の西大寺末寺帳(極楽寺文書)には寺名がみえ、叡尊が和泉で活動していた頃西大寺末寺になったものかもしれない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の禅寂寺の言及

【和泉国】より

… 《延喜式》によると式内社は62座(大鳥24,和泉28,日根10)あり,各郡の中心的神社である大鳥神社,泉井上神社,日根神社はいずれも水利と関係がある。大鳥郡には中臣氏と同祖伝承をもつ大鳥連(むらじ)・殿来連・蜂田連,土師四腹の一つ毛受(もず)腹の土師連や同祖の石津連,渡来氏族の古志連・蜂田薬師らがおり,和泉郡には伝統的豪族である茅渟県主や和気公のほか,物部氏と同祖伝承をもつ韓国(からくに)連・曾禰連・安幕(あまか)首ら,紀氏と同祖で飛鳥時代に法隆寺式伽藍の禅寂寺を氏寺として建立した坂本臣などがおり,日根郡には渡来氏族系統の日根造,上村主,近義(こぎ)首らの存在が目だっている。行基は大鳥郡内の家原で生まれ,鶴田池などの池の造営や土塔で有名な大野寺の建立などを行っている。…

※「禅寂寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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