20世紀日本人名事典 「福岡世徳」の解説
福岡 世徳
フクオカ セイトク
- 生年
- 嘉永1年10月15日(1848年)
- 没年
- 昭和2(1927)年1月30日
- 出生地
- 出雲国松江(島根県)
- 主な受賞名〔年〕
- 松江市名誉市民
- 経歴
- 松江藩士・吉田蔵六の二男に生まれ、同藩士・福岡至仙の娘・松と結婚して婿養子となる。松江藩士として砲術士御番方に属し、廃藩後は島根県大属となり東京に駐在する。のち郷里に帰郷し松江雑賀南小学校教員となるが、自由民権運動に指導的役割を果たし、出雲国有志人民総代による国会開設請願の松江での会合では議長を務めた。明治14年大野義就を党首に山陰自由党を結成し党幹事の一人として活動。15年山陰新聞(山陰中央新報の前身)の創設には印刷長として参画した。16年山陰自由党が解散し公道会に改組、幹事を務める。のち代言人(弁護士)を開業。22年初代松江市長に就任し、以来22年間務めた。45年政友会から衆院議員に当選、2年7ケ月の間、代議士として活躍した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報