福田八幡神社(読み)ふくだはちまんじんじや

日本歴史地名大系 「福田八幡神社」の解説

福田八幡神社
ふくだはちまんじんじや

[現在地名]内海町福田

応神天皇行宮伝説がある葺田の森(ふきたのもり)に鎮座。祭神は品陀和気神・息長帯比女神・中津比売神。葺田宮ともいう。一〇月一一日に行われる秋の祭礼は島内では最も早い。供田の稲を刈り、菰を編み、渡御の神輿に敷いて神座とする。神輿三台は福田・吉田(よしだ)および大部(おおべ)郷の枝村小部(こべ)村(現土庄町)の人々が担った。大部本村は伊喜末(いぎすえ)八幡宮(現同上)の氏子であるが、小部村は当八幡の氏子となっている。ちなみに宝暦明細帳によれば福田郷の人数一千一一〇人中、二七三人が小部村浄宗(じようしゆう)寺の檀家であることも福田と小部の関係を示唆する。


福田八幡神社
ふくだはちまんじんじや

[現在地名]甲奴町福田 宮ヶ迫

友森(とももり)川西方の山際に鎮座する。祭神は仲哀天皇・神功皇后・応神天皇ほか一四柱。旧村社。正中二年(一三二五)本郷(ほんごう)村の大宮(おおみや)八幡宮より氏子争論によって分祀した神社と伝え、「水野記」に「社領十石二斗五升自古新免某迄寄之、其後多戸右衛門尉没収之」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む