日本歴史地名大系 「稲田神社」の解説
稲田神社
いなだじんじや
[現在地名]笠間市稲田
鎌倉初期に当地を支配した笠間時朝は鎌倉歌壇の藤原光俊・泰綱ら八人を招いて当社で奉納歌会を催し、次の歌が詠まれている。
<資料は省略されています>
室町末期に戦火に遭って社殿を焼失したが、慶長七年(一六〇二)伊奈忠次が当地を検地の際、同氏の被官磯猪之介が願主となって本殿などを再建。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
鎌倉初期に当地を支配した笠間時朝は鎌倉歌壇の藤原光俊・泰綱ら八人を招いて当社で奉納歌会を催し、次の歌が詠まれている。
室町末期に戦火に遭って社殿を焼失したが、慶長七年(一六〇二)伊奈忠次が当地を検地の際、同氏の被官磯猪之介が願主となって本殿などを再建。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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