日本歴史地名大系 「立石上村」の解説
立石上村
たていしかみむら
〔中世〕
立石は山香郷の別名として平安時代末に開かれたと推測される。山香郷地頭職系図(志手文書)には平安時代末頃の大神貞房が「立石地頭」と記される。山香郷と同様に郷司大神氏の開発によって成立した村であろう。鎌倉時代末期と推定される弥勒寺領諸庄供米注文(永弘文書)には「立石倉成四斗」とみえる。豊後国弘安図田帳には「立石村四十余町 豊前九郎入道明真跡、彦四郎」とあり、豊後国弘安田代注進状には「立石村四十四町 豊前九郎入道明真跡、同彦四郎盛道法師 法名良恵」とある。豊前九郎明真は大友能直の九男能職(能基)のことであり、彼は伊予国の河野四郎通信の婿となっている(藤姓大友系図)。大友能職から所領を受継いだ彦四郎盛道は河野一族であり、能職の血縁者と思われ、山香立石の河野氏の祖となる。現在、立石の
永享七年(一四三五)、同八年の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報