竜山徳見(読み)りゅうざん とっけん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竜山徳見」の解説

竜山徳見 りゅうざん-とっけん

1284-1358 鎌倉-南北朝時代の僧。
弘安(こうあん)7年生まれ。臨済(りんざい)宗。寂庵上昭の法をつぐ。嘉元(かげん)3年元(げん)(中国)にわたり,古林清茂(くりん-せいも)らに参じて45年をおくる。帰国後は建仁寺,南禅寺,天竜寺住持延文3=正平(しょうへい)13年11月13日死去。75歳。下総(しもうさ)香取(千葉県)出身。俗姓は千葉。著作に「黄竜十世録」など。

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367日誕生日大事典 「竜山徳見」の解説

竜山徳見 (りゅうざんとくけん)

生年月日:1284年11月23日
鎌倉時代後期;南北朝時代の臨済宗黄竜派の僧
1358年没

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世界大百科事典(旧版)内の竜山徳見の言及

【留学】より

… やがて元代となったが,弘安の役(1281)のあと20年間ほどは,さすがに日本からの留学僧の数は激減した。しかし,1299年(正安1)に一山一寧(いつさんいちねい)が元の国使として来朝したころから,日中両国間の往来もようやく活況をとりもどすようになり,14世紀初頭に竜山徳見が留学したのをはじめとして,1326年(嘉暦1)の40人,44年(興国5∥康永3)の数十人,51年(正平6∥観応2)の18人などの集団留学もあって,こののち明初にかけて約70年間ほどは,日本の留学僧の往来がもっとも盛んな時期であった。彼らは各地の名僧をたずねて,熱心に参禅修行をつみ,しかも,46年にわたって留学生活を送った竜山徳見を筆頭に,30余年の約庵徳久,24年の無涯仁浩,23年の椿庭海寿,22年の雪村友梅,21年の復庵宗己,古源邵元,古鏡明千,20年の無我省吾,17年の友山士偲,15年の大拙祖応などのように,きわめて長期間にわたって本格的に大陸禅を学んだものが多かった。…

※「竜山徳見」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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