日本大百科全書(ニッポニカ) 「竹の下の戦い」の意味・わかりやすい解説
竹の下の戦い
たけのしたのたたかい
1335年(建武2)12月11日、箱根竹の下における新田義貞(にったよしさだ)・脇屋義助(わきやよしすけ)軍と、建武(けんむ)政権に謀反した足利尊氏(あしかがたかうじ)・直義(ただよし)軍との戦い。中先代(なかせんだい)の乱(同年7~8月)後、鎌倉を奪回し蟠居(ばんきょ)した足利兄弟は、新田氏勢力の排除をねらい、義貞誅伐(ちゅうばつ)を上奏した。しかし、逆に尊氏・直義討伐を命ぜられた義貞は、随所に足利軍を撃破し、箱根に迫った。義貞は、箱根路を支える直義軍を圧倒し、義助は尊良親王を奉じて竹の下に構えた。一方、鎌倉にいた尊氏は、直義不利の報を受け、竹の下にいる義助軍を背後から奇襲した。さらに、大友貞載(さだとし)、塩冶高貞(えんやたかさだ)らの裏切りにあった義助軍は大敗。箱根の義貞軍も、これに引きずられるように崩れ、京都に逃げ上った。尊氏は、敗走する義貞軍を追撃しつつ東海道を上り、これを皮切りに、以降半世紀余にわたる南北朝内乱が開始された。
[奥富敬之]