デジタル大辞泉 「宝戒寺」の意味・読み・例文・類語 ほうかい‐じ【宝戒寺】 神奈川県鎌倉市にある天台宗の寺。山号は、金竜山。正しくは円頓宝戒寺。建武2年(1335)足利尊氏あしかがたかうじが後醍醐天皇の命により北条一族の菩提を弔うために創建。重文の歓喜天立像・地蔵菩薩像などがある。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「宝戒寺」の意味・読み・例文・類語 ほうかい‐じ【宝戒寺】 神奈川県鎌倉市小町にある天台宗の寺。正称は金龍山釈満院円頓宝戒寺。建武二年(一三三五)足利尊氏が後醍醐天皇の命により北条氏の菩提を弔うため北条氏累代の屋敷跡に創建。開山は慧鎮円観。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「宝戒寺」の解説 宝戒寺ほうかいじ 神奈川県:鎌倉市小町村宝戒寺[現在地名]鎌倉市小町三丁目鶴岡八幡宮三ノ鳥居の東にある。天台宗、金竜山釈満院円頓宝戒寺という。開山恵鎮、開基後醍醐天皇。本尊地蔵菩薩。もと京都延暦(えんりやく)寺末。建武二年(一三三五)三月二八日、足利尊氏が大住(おおすみ)郡金目(かなめ)郷(現平塚市)半分を当寺に寄進した寄進状(県史三)に「当今皇帝被施仁慈之哀恤、為度怨念之幽霊、於高時法師之旧居、被建円頓宝戒之梵宇」とあり、これにより当寺は後醍醐天皇が北条高時の冥福を祈るため高時屋敷跡に建立しようとしたものであることがわかる。しかし建武新政破綻後、その修造は足利氏によって進められ、建武四年一〇月一六日足利直義は開山恵鎮に対し住持職と寺領金目郷半分を安堵している(「足利直義安堵状案」同書)。恵鎮は諱円観、五代国師と諡される。宝戒寺開山は名目上のもので、実務は二世惟賢に任されていたようである。貞和三年(一三四七)と推定される七月二八日の恵鎮書状(同書)では、円頓戒法の東方弘通を惟賢に頼んでいる。同四年吉良義満は白幡谷(しらはたがやつ)口の地を敷地として寄進(一一月一日「恵鎮書状」同書)。観応三年(一三五二)七月四日には尊氏が上総国武射(むさ)郡内小松(こまつ)村(現千葉県山武郡成東町)の工藤中務右衛門跡と出羽国小田島(おだじま)庄内東根孫五郎跡を造営料所として寄進、同一二月二七日には来春から造営を始めること、造営料として下野・下総両国に棟別銭一〇文宛を課すことを定めた(「将軍足利尊氏寄進状案」「将軍足利尊氏御教書案」同書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
事典・日本の観光資源 「宝戒寺」の解説 宝戒寺 (神奈川県鎌倉市)「かながわの花の名所100選」指定の観光名所。 出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報 Sponserd by