竹屋村(読み)たけやむら

日本歴史地名大系 「竹屋村」の解説

竹屋村
たけやむら

[現在地名]中区南竹屋みなみたけや町・平野ひらの町・鶴見つるみ町・昭和しようわ町・たから町・富士見ふじみ町・国泰寺こくたいじ町一丁目・竹屋町東千田ひがしせんだ町一―二丁目

東は京橋きようばし川に臨み、西は平田屋ひらたや川を隔てて国泰寺村、北は下柳しもやなぎ町・薬研堀やげんぼり・竹屋町に隣し、南は海中に突き出す。古くは切支丹きりしたん新開といったが、のちに竹屋村と改められた。村名の由来を「知新集」は「竹屋何某てふもの住しゆゑ名つくるか、新古名義詳ならす」と記す。新開組に属した。

切支丹新開の名は、寛永年間広島城下絵図にもなおみえる。


竹屋村
たけやむら

[現在地名]塩川町中屋沢なかやざわ

田中たなか村の北、雄国おぐに山麓に位置し、集落は檜原ひばら峠越米沢街道(上街道)に沿う。塩川組に属した。地内には応永年間(一三九四―一四二八)小滝右衛門某が住んだという館跡があり、東方山間の松崎まつざき新田村に右衛門の墓という五輪塔がある(新編会津風土記)。大永五年(一五二五)一二月六日の蘆名盛舜・松本宗勝加判塚原光久売券(同書)によると、塚原光久は「山(郡)たけ屋九ケ村之内南ふかさハ十貫文之所」を山ともに七五貫文で小泉伊賀守に売渡している。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高五三九石余。「新編会津風土記」では家数二七、鎮守は諏訪神社。村の東方山裾をきつね駒形こまがたの二つの堰が並行して北流する。


竹屋村
たかやむら

「塵袋」にみえる村名。現加世田市内山田うちやまだの字竹屋尾たかやお付近に比定される。「日本書紀」神代下は、山の神の娘であるカムアタカシツヒメ(コノハナサクヤヒメ)が、ホノニニギの三人の子を産む時、臍の緒を竹刀で切り、その竹刀を捨てたところが竹林になったため竹屋と名付けたという地名起源説話を載せる。「塵袋」によれば、ホノニニギが「薩摩国閼駝ノ郡ノ竹屋ノ村」で土地の者である竹屋守の娘と結婚し、二人の子をもうけた時、その土地の竹で臍の緒を切り、その時の竹が今も残っているという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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