精選版 日本国語大辞典 「竹刀」の意味・読み・例文・類語
たけ‐がたな【竹刀】
ちく‐とう ‥タウ【竹刀】

しない しなひ【竹刀】
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剣術の修業のため、竹のたわみしなう性質を利用して考案された模擬刀の一種。刃引(はびき)や木太刀(きだち)(木刀)に比べ、打突を受けた際の疼痛(とうつう)度を軽減し、危険を防止するうえで有効であった。しない、しなえ、撓、品柄、順刀などとも書く。近世初期、流派剣術の成立とともに、素面(すめん)、素小手(すこて)の形稽古(けいこ)が一般化すると韜撓(袋しない)の使用が盛んとなった。実刀に準じて3尺前後(以下1尺は約30.3センチメートル)の丸竹を、柄(つか)に相当する部分だけを残して、先をいくつかに割ったり、一部をささら状にし、あるいは数本の割り竹をいっしょに束ねて、革や厚手の布でつくった袋に引き込んだ撓がつくられた。袋しないの長さは、流儀や使う人の身長などで多少の差異があったが、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)の撓は3尺に切り、柄7寸、小(こ)太刀は1尺9寸に切り、柄4寸であった。やがて江戸中期、新流が台頭し、柔軟で軽い袋しないにかえて、剛くて重い篠(しの)しないや、四つ割り竹刀などが考案され、防具も、鉄面や従来の胴当や竹具足にかわる胴が着用されるようになった。その先駆的役割を果たしたのは、宝暦(ほうれき)年間(1751~64)、一刀流の中西忠蔵子武(たねたけ)の竹刀打込稽古の開始であるといわれる。当時の竹刀は、数本の割り竹を束ね、柄革(つかがわ)と先革(さきがわ)をつけて、1本の弓弦で結び付けて刀背を示し、これを数か所の中結(なかゆい)で結んだものであった。天保(てんぽう)年間(1830~44)ころから長竹刀が流行し、4尺から5尺4、5寸という大きなものが使われるようになった。このため、その弊害が顕著となり、1856年(安政3)創設の幕府の講武所では、3尺8寸と規定され、今日使用される四つ割り竹の竹刀の様式が完成した。
明治に入り、一部に4尺以上のものを使用したり、山岡鉄舟の春風館のように、3尺2寸の極太竹刀を用い、目方も370匁から400匁(1500グラム)という実刀に近い重いものを用いるところもあったが、警視庁や大日本武徳会も講武所の規定を踏襲して、今日の全日本剣道連盟の竹刀規格に至っている。
[渡邉一郎]
全日本剣道連盟が定める竹刀規格は、中学生が3尺7寸、重量は男性用が440グラム以上、女性用が400グラム以上、高校生が3尺8寸、重量は男性用が480グラム以上、女性用が420グラム以上、大学生・一般が3尺9寸、重量は男性用が510グラム以上、女性用が440グラム以上とされている。
[編集部]
字通「竹」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」事典 日本の地域ブランド・名産品について 情報
…また各流とも相互の交流を試みることなく,他流試合を禁止して閉鎖的,排他的となった。このように華法化した形(かた)剣術に対して,江戸中期になって,直心影流の長沼四郎左衛門が正徳年間(1711‐16)に,一刀流の中西忠蔵が宝暦年間(1751‐64)にそれぞれ面,小手,胴などの防具や竹刀(しない)を考案し,防具をつけての竹刀打ち込み稽古が世間の注目をひき,しだいに広まった。これにより技や稽古法も大いに進歩し,現在行われている剣道の原型となった。…
…切先のほうも短い鞣革で包みこれを先革(さきがわ)という。竹刀の棟にあたるところに,柄革から先革にかけて弦を張り,切先から約30cmくらいのところを細い革できつく縛る。これを中結(なかゆい)という。…
※「竹刀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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