竹屋町通り(読み)タケヤマチドオリ

日本歴史地名大系 「竹屋町通り」の解説

竹屋町通
たけやまちどおり

平安京開設の際に開かれた東西の大路、大炊御門大路おおいのみかどおおじ(郁芳門通)にほぼ該当し、丸太町まるたまち通の南に位置する。「坊目誌」は「東は聖護院町字片木原俗に熊野道に起り、西は堀川に至る。(中略)文明中荒廃し天正年中再開するに及び道路狭少す。賀茂川以東は慶応二年開くる野径なり。明治十九年今の如き道路と為る」と記す。

応仁・文明の乱の荒廃から天正の豊臣秀吉の都市改造までは、上京と下京の中間に位置し、人家もまばらであった。

江戸時代には、旧名を踏襲し大炊おおい通とも、また別に竹屋町通ともよばれ、併用されていたと思われる。竹屋町通の名称由来を、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」は「此通竹を商ふもの多く居住す、故に号く。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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