竹崎城跡(読み)たけざきじようあと

日本歴史地名大系 「竹崎城跡」の解説

竹崎城跡
たけざきじようあと

[現在地名]松橋町竹崎

東方から連なる山稜の末端部にあり、標高七四・八メートル。陳の内じんのうちという字名があり、地元では高城たかじようとよんでいる。西側には古く薩摩街道が走り、さらにすぐ北方には豊福とよふく城跡もある。「国誌」は「竹崎村ノ東北、山城也、今大松一株アリ」と描写している。頂上部は削平されて平場だが狭い。周囲には三つの深い迫があり自然の要害をなし、伝兵でんぴようさこ・しのぎさこ城迫じようのさことよばれている。また城の南側には興浄こうじよう寺の裏山があり、出丸的機能を果したのではないかと推定されている。また城跡の西側からこの裏山にかけての斜面には大小一七段に及ぶ階段状の地形がみられる。


竹崎城跡
たけざきじようあと

[現在地名]太良町大字大浦字竹崎

竹崎島の南、有明海海岸に位置する。

藤津郡村誌」に「村ノ巽位竹崎嶋ニアリ東西一丁余南北二十間余石壁アリ空濠アリ儼然タル城跡ノミ南ハ海ニ面ス下ル事一丁石ヲ畳テ道ヲ通ス。傍ラニ数畝ノ耕地アリ。伝ヘテ御茶屋ト云。天正十五年春竜造寺家晴(後信尚ト改ム)封ヲ太閤秀吉ニ受テ西郷純尭ヲ討チ其地ヲ領シ代リテ北高来郡諫早ニ治ス。時ニ九州未ダ全ク平カナラズ且西郷氏ノ残党各地ニ僭伏スルモノ多ク封内ノ人民等稍モスレバ旧ヲ慕フ者アリ。依テ竹崎嶋ヘ枢要ノ地タルヲ以テ城堡ヲ此ニトシ以テ鎮圧セント欲ス。家臣北島藤左衛門等ヲシテ其役ヲ督シ且之ヲ守ラシム。後チ寛永年間肥後国天草ノ邪党烽起ノ際之ヲ毀ツテ以テ覬(ママ)ヲ絶ツト云」とあるが、竹崎城は南北朝時代に島原の有馬隆泰が構築した(太良町史)と伝えられており、戦国時代には有馬氏の出城となり、幾度かの攻防の歴史を秘めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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