新撰 芸能人物事典 明治~平成 「竹本組太夫」の解説 竹本 組太夫(5代目)タケモト クミタユウ 職業義太夫節太夫 本名片岡 藤七 生年月日弘化4年 出身地京都 経歴5代目春太夫の門下で、明治8年文楽座出演、17年彦六座につとめ、「御所桜」「熊谷浦屋」「太十」などを得意とした。 没年月日明治38年 7月25日 (1905年) 出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹本組太夫」の解説 竹本組太夫(5代) たけもと-くみたゆう 1847-1905 明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。弘化(こうか)4年生まれ。義太夫節。5代竹本春太夫,竹本摂津大掾(せっつのだいじょう)の弟子。明治8年文楽座に出演,17年から彦六座に出演して,23年から3代竹本大隅太夫と交替で櫓下(やぐらした)をつとめた。明治38年7月25日死去。59歳。京都出身。本名は片岡藤七。 竹本組太夫(初代) たけもと-くみたゆう ?-1759 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。義太夫節。2代竹本政太夫(まさたゆう)の弟子で,宝暦3年竹本座で初舞台。悪声を逆に利用して組太夫風の語り口をあみだした。宝暦9年死去。通称は利助組太夫。 竹本組太夫(2代) たけもと-くみたゆう ?-? 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。義太夫節。豊竹岡太夫の弟子で,八十太夫をへて寛政11年(1799)2代を襲名した。通称は靱組太夫。 竹本組太夫(3代) たけもと-くみたゆう ?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。義太夫節。文字太夫から組太夫に改名,江戸組太夫と称された。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by