竹本雛太夫(読み)タケモト ヒナタユウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「竹本雛太夫」の解説

竹本 雛太夫(5代目)
タケモト ヒナタユウ


職業
義太夫太夫(歌舞伎)

肩書
重要無形文化財保持者(歌舞伎音楽・竹本)〔昭和53年〕

本名
小林 貞光(コバヤシ サダミツ)

別名
別名=林 長子(ハヤシ チョウシ),前名=豊竹 竹弥(トヨタケ タケヤ),豊竹 竹太夫(トヨタケ タケタユウ)

生年月日
明治31年 10月13日

出生地
大阪府 大阪市

経歴
歌舞伎俳優を志し、林又一郎の内弟子となり、明治44年林長子と名乗り初舞台を踏む。大正5年俳優を廃業し、文楽座の三味線方・豊沢竹三郎(のちの7代目豊沢広助)に入門し、豊竹竹弥と名乗って三味線の修業を始めた。昭和6年太夫に転じ、豊竹古靱太夫(山城少掾)に入門、竹太夫となる。15年に5代目雛太夫を襲名、古靱太夫の愛弟子として文楽座で活躍するが、34年歌舞伎の竹本(義太夫)へ転向。39年野沢八造の死去により、相三味線が豊沢栄緑になる。47年ヨーロッパ歌舞伎公演に参加。50年国立劇場竹本研修生講師に就任。生来美声に加え、文楽で多年にわたってみがき上げた技芸円熟の極に達し、繊細で巧みな語り口は他の追随を許さないものがあった。53年人間国宝。

所属団体
伝統歌舞伎保存会

受賞
勲四等旭日小綬章〔昭和53年〕

没年月日
昭和55年 2月29日 (1980年)


竹本 雛太夫(4代目)
タケモト ヒナタユウ


職業
義太夫節太夫(文楽)

専門
人形浄瑠璃

本名
浅野 善五郎

別名
前名=竹本 組栄太夫

生年月日
明治4年 9月1日

出生地
大阪府

経歴
明治24年6代目竹本組太夫に師事、組栄太夫を名乗る。27年4代目雛太夫を襲名した。

没年月日
大正15年 8月13日 (1926年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「竹本雛太夫」の解説

竹本 雛太夫(5代目)
タケモト ヒナタユウ

大正・昭和期の義太夫節太夫(歌舞伎)



生年
明治31(1898)年10月13日

没年
昭和55(1980)年2月29日

出生地
大阪府

本名
小林 貞光(コバヤシ サダミツ)

別名
前名=林 長子(ハヤシ チョウシ),豊竹 竹弥(トヨタケ タケヤ),豊竹 竹大夫

主な受賞名〔年〕
勲四等旭日小綬章〔昭和53年〕

経歴
明治44年林長子と名乗り初舞台をふむ。大正5年義太夫三味線の豊沢広助に入門し、豊竹竹弥と名乗って三味線の修業を始めた。昭和6年太夫に転じ、豊竹古靱大夫(山城少掾)に入門、竹大夫となる。15年に5代目雛太夫を襲名、古靱大夫の愛弟子として文楽座で活躍するが、34年歌舞伎の竹本(義太夫)へ転向。生来の美声に加え、文楽で多年にわたってみがき上げた技芸は円熟の極に達し、繊細で巧みな語り口は他の追随を許さないものがあった。53年人間国宝。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹本雛太夫」の解説

竹本雛太夫(5代) たけもと-ひなたゆう

1898-1980 大正-昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫,歌舞伎義太夫節太夫。
明治31年10月13日生まれ。大正5年浄瑠璃三味線方の7代豊沢広助に入門。昭和6年太夫に転じて2代豊竹古靱太夫(こうつぼだゆう)(のちの豊竹山城少掾(やましろのしょうじょう))の門にはいり,15年5代雛太夫を襲名。34年師の引退とともに歌舞伎の竹本に転向する。53年人間国宝。昭和55年2月29日死去。81歳。大阪出身。本名は小林貞光。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「竹本雛太夫」の解説

竹本 雛太夫(5代目) (たけもと ひなたゆう)

生年月日:1898年10月13日
大正時代;昭和時代の義太夫節太夫(歌舞伎)
1980年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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