竹沢村(読み)たけざわむら

日本歴史地名大系 「竹沢村」の解説

竹沢村
たけざわむら

[現在地名]山古志村竹沢・東竹沢ひがしたけざわ

現村域のほぼ南半分を占め、竹沢(二丁野・下村)向田むかいだ間内平まないひら山中やまなか菖蒲しようぶ太内おおない桂谷かつらや油夫ゆぶ(現大字竹沢)大久保おおくぼ梶金かじかね木籠こごも小松倉こまつぐら(現大字東竹沢)芋川いもがわ(現北魚沼郡広神村)の集落からなる。正保国絵図に山二十村のうちとして鍛錬根村・小松倉村・菖蒲村・湯部村・太内村・竹沢入たけざわいり村・マナイひら村・桂屋村・大窪おおくぼ村が各々みえる。正保四年(一六四七)の古志郡廿村之内猪之助組検地帳(松井家文書)によると、竹沢入村は田一町一反余・畑三反余、石高二〇石五斗余のうち一〇石が新田。


竹沢村
たけざわむら

[現在地名]小川町笠原かさはら原川はらがわ靱負ゆきえ木部きべ勝呂すぐろ木呂子きろこ

中世竹沢郷を継承すると考えられる近世村で、田園簿にみえるが元禄国絵図・元禄郷帳作成時までに笠原・原川(比企郡)、靱負・木部・勝呂・木呂子(男衾郡)の六ヵ村に分立した。田園簿では男衾おぶすま郡のうちに村名がみえ、田高一九五石余・畑高二五〇石余、ほかに紙舟役永一貫八五〇文が課せられ、幕府領


竹沢村
たけざわむら

[現在地名]珠洲市三崎町雲津みさきまちもづ

雲津村の北に位置する。正保郷帳天保郷帳では同村の内として記載されていると考えられる。承応三年(一六五四)能登奥両郡収納帳に竹沢新村とあり、草高三三石余、免一ツ八歩、夫銀八匁余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android