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竹田城 たけだじょう

日本の城がわかる事典の解説

たけだじょう【竹田城】

兵庫県朝来(あさご)市和田山町にあった山城(やまじろ)。安土桃山時代に大坂城防衛のために築き直した城。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。標高353mの古城山山頂に築かれた典型的な山城。但馬守護の山名持豊(もちとよ)(宗全(そうぜん))が丹波(京都府・兵庫県)の細川、播磨(兵庫県)の赤松、出雲(島根県)の尼子(あまご)などに備えるために築いた城である。1431年(永享3)に築城にとりかかり、嘉吉年間(1441~44年)に完成したと伝えられる。初代城主には家臣太田垣光景(みつかげ)が入ったが、1573年(天正1)5代朝廷(とものぶ)のときに播磨龍野城(たつの市)主赤松広秀(ひろひで)に攻められ落城した。広秀が城主になったが、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の中国攻めで秀吉の弟秀長に囲まれ、広秀は戦わずして軍門にくだった。その後秀長の武将桑山重晴(しげはる)が城主となり、1585年(天正13)に再び赤松広秀が城主となった。広秀は現在残る石垣群など城の修築を行った。修築には13年の歳月がかかり、賦役の農民は「田に松が生えた」ほどの困窮に陥ったという。広秀は租税を免除し治水に力を入れるなど善政を施したが、1600年(慶長5)関ヶ原の戦いで西軍に与したため徳川家康から疎まれ、自刃した。その後竹田城は廃城となった。山頂部一帯に本丸、二の丸、三の丸(南千畳・北千畳・花屋敷)などの石垣がよく原形を保って残っている。JR播但線竹田駅から徒歩50分。◇虎臥(とらふす)城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

たけだ‐じょう〔‐ジヤウ〕【竹田城】

兵庫県朝来市和田山竹田にあった城。嘉吉年間(1441~1444)の築城と伝えられる。古城山(標高353メートル)山頂に位置し、城と山全体の形から虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)ともよばれる。石垣がほぼ完全な状態で残る。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

知恵蔵miniの解説

竹田城

兵庫県朝来市に存在していた山城。日本百名城の一つ。伝承では、1431年、山名持豊が築城を開始し43年に完成、太田垣光景が城主となったという。以後、代々太田垣氏の城だったが、1577年、豊臣秀吉の但馬攻めにて陥落。85年、赤松広秀が城主となる。1600年、関ヶ原の戦いで敗れ、後に廃城となった。現在、城自体は消失しているが、山城遺跡として全国でも稀な完存する遺構を保っており、虎が臥せているように見えることから「虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)」とも呼ばれる。1943年、竹田城跡として国の史跡に指定された。標高353.7メートルに位置し、秋から冬にかけ朝霧が発生することが多い。その雲海に包まれた姿や竹田城から見下ろす風景から「天空の城」「日本のマチュピチュ」と称されるようになり、観光名所として人気が高まっている。

(2013-10-8)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

世界大百科事典内の竹田城の言及

【和田山[町]】より

…円山(まるやま)川上流に位置し,周囲は山に囲まれているが,山陰道と生野街道の分岐点として早くから開け,城ノ山古墳や池田古墳(前方後円墳)などがある。15世紀半ばには山名持豊(宗全)が,南部の竹田にある古城山(354m)に竹田城(虎臥城)を築いた。竹田城は1577年豊臣秀吉に攻められて落城したが,中世の代表的な山城といわれ,遺構は国の史跡に指定されている。…

※「竹田城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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