笛吹坂
ふえふきざか
鶏足山の裏山、城山の山丘が南にゆるやかな起伏の尾根を延ばすが、その鞍部を東西に切った切通し。尾根には鶏足寺の塔頭二四坊中の西光坊・浄満坊の跡と、坂の西端に同じく恵性院がある。坂道は幅約一・八メートルほどで、古代以来東側の字中妻と西側の字濁沼を結ぶ主要道で、足利―桐生(現群馬県桐生市)間の幹道でもあった。「新田老談記」によると、元亀三年(一五七二)四月上杉謙信の軍勢による小俣城攻撃に際し、城主渋川義勝の家臣らが笛吹坂の前後に防衛線を張っている。現在、恵性院墓地内に建つ石造卒塔婆は延文五年(一三六〇)銘をもち、総高一・三六メートル、水輪に種子、地輪に七行約七〇字の銘文が刻まれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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