日本歴史地名大系 「筑後国絵図」の解説
筑後国絵図
ちくごくにえず
原本 黒岩家
解説 筑後国の鳥瞰絵図。欄外に記された久留米藩領大庄屋の組名から天保三年の成立と考えられ、元禄国絵図を基本に描かれているとされる。村高は記載されず、無高の場合だけ村名の横にこれを明示し、大庄屋の支配域の組を区別するための記号を村名の上に付けている。番所はシンボル化された番小屋が描かれるのみで、地名は記載していない。郡域を明示して色付けしており、在町や主要な寺院・神社にはシンボル化された家並や二階建の建物、鳥居・森を描いている。主要河川と道路・一里塚のほか、久留米藩領では生葉郡・上妻郡の山地において河川や道路沿いの地名を詳細に書込んでいる。道路も詳しく示し、筑前・肥前・豊後との国境には久留米城下や近隣村からの距離を記し、山中の境目が不分明な箇所には「山、国境不相知」と記している。国境をなす河川では、船渡しや歩渡しの川幅を記すとともに、元禄国絵図との相違点を指摘している。欄外には、久留米藩領では「御領中四方広狭」「従御城方角」「御領中同名村」「筑後川筋舟渡」「村々組合印」「従久留米近国里数」を、柳川藩領では上妻・下妻・三潴・山門・三池五郡内の村数と山口高を記す。筑後川河口には肥前領大侘間浮先と称する中洲が描かれ、柳川津から肥前島原・肥後天草までの海路の距離を記す。また、久留米・佐賀・柳川三藩の有明海漁場争いにおける文政二年判決の一部も記載される。
複製 「久留米市史」第二巻付録
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報