筒美京平(読み)ツツミキョウヘイ

デジタル大辞泉 「筒美京平」の意味・読み・例文・類語

つつみ‐きょうへい〔‐キヤウヘイ〕【筒美京平】

[1940~2020]作曲家。東京の生まれ。本名、渡辺栄吉えいきち。音楽ディレクターから作曲家に転身。「ブルー・ライト・ヨコハマ」のヒット地位を確立すると、その後も多くのヒット曲を手掛けた。代表作「またう日まで」「魅せられて」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「筒美京平」の意味・わかりやすい解説

筒美京平
つつみきょうへい

[生]1940.5.28. 東京,東京
[没]2020.10.7. 東京
作曲家,編曲家。本名渡辺栄吉。グループ・サウンズ楽曲から歌謡曲,J-POP,アニメーション主題歌など多彩な分野で 3000曲近くを作曲し,おもに 1970~80年代に数多くのヒット曲を世に送った。東京府東京市牛込区に生まれ,幼少時よりピアノを習い,ピアニストを目指す。青山学院大学経済学部を卒業後,1963年に日本グラモフォン(現ユニバーサルミュージック)に入社,洋楽担当ディレクターとして勤務。学生時代からの知人で作詞家の橋本淳に勧められ,すぎやまこういちから作曲・編曲を学ぶ。1966年『黄色いレモン』で作曲家デビュー。1967年から専業の作曲家となった。いしだあゆみがうたう 1968年12月発売の『ブルー・ライト・ヨコハマ』で自身初の売り上げ週間ランキング第1位を獲得し,これが出世作となった。1971年の尾崎紀世彦の『また逢う日まで』,1979年のジュディ・オングの『魅せられて』で日本レコード大賞受賞その他のヒット曲に郷ひろみの『男の子女の子』(1972),太田裕美の『木綿ハンカチーフ』(1975),小泉今日子の『なんてったってアイドル』(1985)などがあり,シングル曲の売り上げ枚数は約 7560万枚と日本歴代最多。またアニメーション主題歌に『サザエさん』(1969)などがある。2003年紫綬褒章受章。

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知恵蔵mini 「筒美京平」の解説

筒美京平

作曲家。1940年5月28日、東京都生まれ。本名、渡辺栄吉。幼少期からピアノを習い、青山学院大学在学時にはジャズに親しんだ。卒業後はレコード会社に入社し、洋楽部のディレクターを務めながら、作曲家のすぎやまこういちのもとで作曲を学ぶ。68年に発表した「ブルー・ライト・ヨコハマ」が大ヒットとなり、その後も「木綿のハンカチーフ」、「ロマンス」、「スニーカーぶる~す」など、数々のヒットを連発。作曲を手がけたシングル曲の総売り上げは、国内の作曲家の間で歴代1位(2020年現在)となる約7560万枚を記録した。1971年に「また逢う日まで」で、79年には「魅せられて」で日本レコード大賞を受賞。2003年には紫綬褒章を受章した。20年10月に80歳で死去した。

(2020-10-15)

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百科事典マイペディア 「筒美京平」の意味・わかりやすい解説

筒美京平【つつみきょうへい】

歌謡曲作曲家。東京都出身。1967年デビュー,1969年いしだあゆみ《ブルーライトヨコハマ》の初ヒットに始まり,1970年尾崎紀世彦《また逢う日まで》,1979年ジュディ・オング《魅せられて》がレコード大賞獲得。その他《17歳》《翔んでイスタンブール》等数多くのヒット曲を手がけ,計5回のレコード大賞作曲賞受賞。1980年代以降も多くの若手歌手に曲を提供しつづけている。
→関連項目岩谷時子

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「筒美京平」の解説

筒美京平 つつみ-きょうへい

1940- 昭和後期-平成時代の作曲家。
昭和15年5月28日生まれ。日本グラモフォンにつとめ,昭和42年退社して作曲家となる。「ふたりの汐風」でデビュー。代表作にいしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」,ジュディ・オング「魅せられて」,庄野真代「翔んでイスタンブール」など。東京出身。青山学院大卒。本名は渡辺栄吉。

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