日本歴史地名大系 「箱館産物会所跡」の解説
箱館産物会所跡
はこだてさんぶつかいしよあと
近世に幕府が蝦夷地産物取扱のために箱館に置いた役所。天明五年(一七八五)幕府は肥前長崎の俵物会所を俵物役所と改め、俵物を直買制とするとともに、箱館に会所を設置し、会所役人として河野・吉野両名を派遣して直仕入制をとった。箱館には北国筋の俵物が集荷し、江戸から毎年普請役・請払役などが出張して、統制と買入れを行った。天明八年の買入高は箱館・松前がともに三千五〇〇両前後であったが、寛政二年(一七九〇)には箱館の買入高は五千二五〇両で、松前の三千一八九両を引離している。同一一年東蝦夷地が幕府直轄となると、箱館は蝦夷地必需物資、蝦夷地産物の中心地となり、昆布中心型から鰊〆粕・数の子・塩鮭・干鱈・煎海鼠など海産物全般が取扱われるようになった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報