デジタル大辞泉
「合従連衡」の意味・読み・例文・類語
がっしょう‐れんこう〔‐レンカウ〕【合従連衡】
《「合従」は、秦に対抗するために他の6国が連合すること、「連衡」は、秦が他の6国とそれぞれ同盟を結ぶこと》合従の策と連衡の策。転じて、その時々の状況に応じていくつかの勢力が結び合うこと。また、そのかけひき。
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がっしょう‐れんこう‥レンカウ【合従連衡】
- 〘 名詞 〙 ( 「衡」はよこで、東西の意。「連衡」は、中国の戦国時代、魏(ぎ)の張儀が唱えた同盟政策で、秦が魏など六国とそれぞれ同盟を結ぶこと ) 合従の策と連衡の策。転じて、はかりごとを巧みにめぐらした外交政策をもいう。〔文明本節用集(室町中)〕
- [初出の実例]「秦儀の二人、合縦連衡の策をなして」(出典:四河入海(17C前)五)
- [その他の文献]〔史記‐孟子伝〕
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合従連衡
合従の策と連衡の策。南北に合流し、東西に連合すること。転じて、強敵に対抗するための巧みな方策。はかりごとを巧みにめぐらした外交政策をもいう。
[活用] ―する。
[使用例] 蘇秦張儀の輩正に四方に奔走して、〈略〉合縦連衡の戦争にせわしき世なれば[福沢諭吉*文明論之概略|1875]
[使用例] 大金持ち既に共同して新進を倒すの利益を知り、合縦連衡してその富を維持せんとするに至りては[山路愛山*現代金権史|1908]
[解説] 「合従」の「従」は、「縦」と同じくたてで、南北という意味。「連衡」の「衡」は横で、東西という意味。「合従」は中国の戦国時代に、最強国の秦に対抗するために、南北に並んだ趙・魏・楚・斉・燕・韓の六か国を連合させた蘇秦の同盟外交策。「連衡」は合従の策がやぶれたのちに魏の張儀が、魏などの六か国を説いて、横に秦とそれぞれに同盟を結び、存立を図らせようとした同盟政策。
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合従連衡
がっしょうれんこう
中国、戦国時代の外交政策。合従とは「南北を連合させる」の意であり、紀元前4世紀末、燕(えん)に仕えた蘇秦(そしん)(?―前317)が、趙(ちょう)、韓(かん)、魏(ぎ)、斉(せい)、楚(そ)の諸国にそれぞれ説いて、6国で南北に連なる同盟を実現させ、西方の強国秦(しん)に対抗した政策をいう。蘇秦はまもなく6国の宰相を兼ね、連合軍を組織して秦を攻めたが敗れた。しかし、この連合のため秦は十数年間、東方進出を阻まれた。連衡とは「横に連ねる」の意であり、蘇秦と同門の張儀(ちょうぎ)(?―前309)が組織した同盟である。張儀は秦の宰相となり、合従を破って東方の6国をばらばらにし、いずれかの国と秦と個別に同盟を結ぶことによって、孤立した他の国々を別々に威圧、攻撃する方針をとった。秦と他の6国がそれぞれ東西に結ぶことからこうよばれる。しかし、まもなくこの策も破れて張儀は失脚した。蘇秦、張儀はこのような外交策を弄(ろう)した弁説家であるため、「縦横家(じゅうおうか)」とよばれている。
[太田幸男]
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合従連衡 (がっしょうれんこう)
hé cóng lián héng
中国,戦国末の列国間の外交政策。合縦連横ともいう。前4世紀後半いらい西方の秦が強大になってくると,東の燕・斉・趙・韓・魏・楚の6国が縦に同盟して秦に対抗する合従策と,秦が6国のそれぞれと単独で同盟を結ぶ連衡策とが重要な外交政策となった。このような策を諸侯に遊説するものを縦横家(じゆうおうか)/(しようおうか)と呼び,合従策は蘇秦,連衡策は張儀の名が有名である。縦横家には他に蘇秦の弟の蘇代,陳軫(ちんしん),犀首らがあり,くだって漢代の蒯通(かいつう),徐楽,主父偃(しゆほえん)らもその亜流とみなされている。
執筆者:永田 英正
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合従連衡
がっしょうれんこう
He-cong liau-heng; Ho-ts`ung lien-hêng
中国の戦国時代に蘇秦や張儀らの行なった一種の外交術。戦国中期に西方の秦が強大になり,東方諸国の征服をはかった。そのとき蘇秦が燕,趙,韓,魏,斉,楚の6国の王に相互に同盟して秦に対抗するよう説いたという。このように団結して秦にあたるのを合従といい,逆に張儀が6国を個別に秦と同盟させ,秦に服従させようとした方法を連衡という。このように弁論をもって各国の君主に説き,合従や連衡などを進言した人々を縦横家という。
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合従連衡【がっしょうれんこう】
中国,戦国時代の策士(縦横家)が唱えた外交政策。合縦連横とも。秦が強大となったため,他の6国(韓・魏・趙・斉・燕・楚)がその侵略を防ぐため縦(南北)に同盟するのを合従,6国のそれぞれが単独で秦と横(東西)に連合するのを連衡という。合従策は蘇秦が,連衡策は張儀が首唱者。
→関連項目蘇秦|張儀
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合従連衡
がっしょうれんこう
戦国時代末期に秦をめぐって展開された諸国の外交
西方の秦が商鞅 (しようおう) を用いて強化されたとき,東方の楚 (そ) ・韓 (かん) ・魏 (ぎ) ・趙 (ちよう) ・燕 (えん) ・斉 (せい) の6か国は,蘇秦 (そしん) を中心に合従(従とはタテ=南北,6国が秦に備えて同盟する)して対抗したが,張儀の連衡策(衡とはヨコ=東西,秦と6国が個別的に同盟する)にあって切りくずされ,秦はやがて外交不安定の6国を併合した。蘇秦・張儀らを縦横家という。
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世界大百科事典(旧版)内の合従連衡の言及
【縦横家】より
…秦・漢統一帝国以後は,国家に忠誠な外交官の辞令,便事の全権委任は認められたが,その弁説と術策による外国との通謀を〈詐諼(さけん)(二枚舌)〉の辞として危険視された(《漢書》芸文志)。後漢・三国期に復活した〈[合従連衡]〉には,相互利益の同盟を従(しよう),脅迫による盟約を横(こう),とする解釈が定着した(臣瓚説)。【戸川 芳郎】。…
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