篠原 善次郎(読み)シノハラ ゼンジロウ

20世紀日本人名事典 「篠原 善次郎」の解説

篠原 善次郎
シノハラ ゼンジロウ

明治・大正期の実業家



生年
安政2年(1855年)

没年
昭和5(1930)年2月26日

出生地
薩摩国(現・鹿児島県鹿児島市)

経歴
明治4年同郷の北海道開拓使長官黒田清隆の命によって畜産を専門に農学を修め、北海道庁に勤務。15年に同庁を辞職して青森に移り、16年乗合馬車4台を購入して青森・弘前間の貨客輸送を開始するが、間もなく病気のため他人に事業を譲渡した。24年東北本線が開通すると東北と北海道との交易着目、北海道から雑穀やでんぷんなどを移送して巨利を得た。次いで製糸事業を志し、大正4年紙漉工場を設立してちり紙の生産に着手。また青森市内の交通が不便なことから公共交通機関の設置に尽力し、まず13年から自身が乗合自動車の経営を行って事業の可能性を市当局に認めさせ、15年には市に自動車6台と1万5千円を寄付、これがもととなって同年に市交通部が誕生し、現在の青森市営バスの基礎となった。その後も総務という名誉職ながら市営バス事業を監督した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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