米子為替蔵跡(読み)よなごかわせぐらあと

日本歴史地名大系 「米子為替蔵跡」の解説

米子為替蔵跡
よなごかわせぐらあと

[現在地名]米子市内町

加茂かも川河口左岸、うち町の後藤家住宅の西の裏手にある。安政五年(一八五八)米子荒尾氏家臣村河与一右衛門の計画により設置され、設立資金一千五〇〇両は村河の強い要請により鹿島家一族が出資した(「為替座一条日記」鹿島家文書)。設立の背景には、従来鉄類・綿・木綿米穀・塩・魚・油類・木材などの商品集散が盛んであった米子湊が、天保六年(一八三五)藩により境鉄山融通会所(現境港市)が設立されて以後、集荷力にかげりがみえてきており、境湊に押される劣勢を挽回しようとする荒尾氏の意図があった。為替蔵へは加茂川から堀河によって舟入をつくり、堀の両岸に面して倉庫と役人詰所・休息所などを建てた(「為替蔵絵図」鹿島家蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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