粟津市(読み)あわづのいち

日本歴史地名大系 「粟津市」の解説

粟津市
あわづのいち

粟津に置かれた市。「日本書紀」天武天皇元年(六七二)七月二二日・同二三日条に「大友皇子・左右大臣等、僅に身免れて逃げぬ、男依等、即ち粟津岡の下に軍す(中略)壬子に、男依等、近江の将犬養連五十君及び谷直塩手を粟津市に斬る」とある。これは壬申内乱終幕瀬田せた川の決戦の一部で、七月二二日瀬田川東岸に布陣した大海人皇子軍の主力は粟津側の近江朝廷軍との攻防を繰広げ、一方的な勝利を得るが、その直後大海人皇子軍はただちに「粟津岡の下」に軍を集結させ、逃れた大友皇子ら近江朝廷軍の要人捜索を開始し、翌二三日には二人の将を捕らえ粟津市で斬っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の粟津市の言及

【市】より

…このような初期の市の中には,都宮との関係が深いものが存在し,都城の成立とともに,藤原京の〈市〉や平城京以後の〈東西市(東市・西市)〉,難波京の〈難波市〉など,市司(いちのつかさ)の管理する市へとうけつがれた。これに対して〈餌香市〉〈阿斗桑市〉は,河内の交通の要地に立地した市であるが,河内以外にも《日本書紀》天武1年(672)7月壬子条にみえる近江の〈粟津市〉のごとく各地に市が存在していたとみてよい。 8世紀以降の奈良時代~平安初期においても,上述の市は存在し続けるが,それ以外にも《万葉集》に駿河国の〈安倍市〉,《日本霊異記》に美濃国の〈小川市〉,備後国の〈深津市〉,大和国の〈内(宇智)の市〉,紀伊国の〈市〉などが見える。…

※「粟津市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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